115年間動き続け、日本の産業を支えた―世界遺産「富岡製糸場」

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115年間動き続け、日本の産業を支えた世界遺産「富岡製糸場」

明治に作られてから昭和の末期に至るまで、115年間動き続け、日本の絹糸産業を支えてきた世界遺産「富岡製糸場」。
日本の近代化の象徴的な建物として、平成26年(2014年)に「富岡製糸場と絹産業遺産群」として、周辺の関連遺産とともにユネスコの世界文化遺産に登録されました。

明治時代の建物が非常にいい状態で保存されており、資料的価値が高いうえに、敷地に入れば明治時代にタイムスリップしたかのようなレトロな空間が広がっているのも魅力的です。

本記事では、知ればより観光が楽しくなる、「富岡製糸場」の歴史や見どころについてご紹介していこうと思います。

「富岡製糸場」とは?

まずは、「富岡製糸場」がどのような場所なのかについてざっくりとご説明していきます。

「富岡製糸場」は、明治政府が掲げた「殖産興業」というスローガンを実現するためのロールモデルとして、明治5年(1872年)に建てられた官営模範工場です。
創業当時は主にヨーロッパから当時の世界の最新技術を輸入して生糸を生産していましたが、やがて世界の生糸の生産を牽引していくようになります。
戦後には生糸のオートメーション化にも成功しました。

修学旅行先として定番の「富岡製糸場」は、これまで学びの場としてのイメージが強かったかもしれませんが、最近では周辺におしゃれなカフェが出来たり、明治時代の工女たちのように袴を履いて写真を撮ってもらえたりするような観光ツアーもあります。
「富岡製糸場」は日本の近代産業について学べるだけでなく、レトロな雰囲気の中で友人との素敵な思い出を作ることもできる観光スポットとなっているのです。

「富岡製糸場」と明治日本の近代化

明治日本の近代化のシンボルともいえる「富岡製糸場」。
そもそもなぜ群馬県に作られたのでしょうか。

日本ではもともと、江戸時代のころから生糸の生産が盛んでした。
そこで明治政府は、外貨獲得の手段として、生糸の輸出を考えたのです。

養蚕が盛んな地域であり、また近くに高崎炭鉱があり動力源を確保しやすかったことから富岡に工場が建てられることとなりました。
質の高い生糸の大量生産を目指して、フランスからフランソワ・ポール・ブリュナを招き、先進的なヨーロッパの技術を輸入しつつ生産をスタートさせます。
設立には新札のデザインにも採用されている渋沢栄一が携わっています。

「富岡製糸場」で働いていたのは主に士族や地方の名家の女性たち。
製糸業に携わる女性たちは、「女工哀史」「ああ、野麦峠」などに見られるように、凄惨な労働環境に身を置いていたイメージが強いですが、「富岡製糸場」で働く工女たちはのちに各地の工場で技術指導をすることが求められていたことからいわゆるエリートが多く、「糸姫」とも呼ばれていました。

明治26年(1893年)には三井に払い下げられ、昭和14年(1939年)には片岡工業の傘下に入り、以後昭和62年(1987年)に停止されるまで、日本の生糸産業を支え続けます。

平成17年(2005年)に富岡市に寄贈されるまでは片岡産業が莫大な維持費をかけて保全に勤めていたこともあり、富岡製糸場は今日にその姿を伝えています。

どうして「富岡製糸場」は世界遺産に指定された?

「富岡製糸場」の歴史についておおまかにわかったところで、なぜ「富岡製糸場」が世界遺産に登録されるに至ったのかについて見ていきましょう。

明治日本の近代化のシンボル

「富岡製糸場」は、日本の近代化の象徴ともいえる官営模範工場です。
日本の発展に大きく寄与した部分が高く評価されました。

世界的な絹の普及に貢献

「富岡製糸場」をはじめ、日本各地で大量生産された生糸は世界中に輸出され、絹が手に入りやすくなりました。
それまで特権階級の物であった絹が庶民のもとへも降りてくるようになったのです。

当時の女工たちの労働環境の良さ

前述のとおり、富岡製糸場はエリート女工たちが働く工場。
きちんと休暇が設けられており、賃金も高く、世界的に見てもかなり労働環境の良い職場でした。

建物の保存状態の良さ

工場停止後も片岡工業が守り続けていた「富岡製糸場」は、明治時代の建物が非常に良い状態で保存されています。
また、フランスから技師を招いて建てたとはいえ、西洋建築を導入しつつも日本独自の建築で建てられている点も評価されました。

「富岡製糸場」の見どころ

さいごに、「富岡製糸場」の見どころについてご紹介したいと思います。

操糸場

繭から生糸を取る作業をしていた操糸場。
「富岡製糸場」と聞いて多くの方が思い浮かべるのがこの建物だと思います。
創業当初は世界最大級の規模を誇り、大きなガラス窓とトラス構造による柱のない広々とした空間が開放的です。

東置繭所

東側にあった繭の貯蔵場所です。
32トンもの繭を保存することができるのだとか。
1階部分は富岡製糸場に関する資料が展示されています。

西置繭所

2020年に保存工事が終わった西側の繭の貯蔵場所。
1階部分と2階部分のレンガの積み方の違いに注目してみてください。

検査人館

フランス人技師の居館であった建物。
のちに事務室などとして利用されていました。

首長館

フランソワ・ポール・ブリュナとその家族が住んだ建物。
のちに女工たちのサロンとして利用されていました。

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