今の北海道の礎は如何にして作られたのか―北海道開拓の歴史

国内旅行情報

北海道開拓の歴史

北海道にはさまざまな観光名所がありますが、それらがどのような歴史的背景を持っているかはご存知でしょうか。

なんとなく「観光地だから」という理由で旅行先の観光スポットを選んでしまうことも多いかと思いますが、その背景にある歴史を学ぶことで、より観光を楽しむことができます。

本記事では、日本の中でもいち早く近代化が進められていった北海道の開拓の歴史について一緒に学んでいきましょう。

明治以前の北海道

まずは、明治以前の北海道について軽く見ていきましょう。

江戸時代頃まで北海道は蝦夷地と呼ばれ、厳密には幕府などの政治的な権限が及ぶ地域ではありませんでした。
日本で江戸幕府が政治を行っていたくらいの時代の北海道は、「アイヌ文化時代」と呼ばれ、もともと北海道に定住し、擦文文化を担っていた民族が、オホーツク文化などの影響を受けながら独自の成長を遂げた文化が発展した時代です。

アイヌの人々は、主に狩猟や採集を中心とした自然に溶け込んだ生活を営んでいました。
自分たちが生きていくために食料を得ることはもちろん、和人(松前藩など)、サハリン(樺太)、カムチャッカ地方などとの交易も活発に行っていました。
アイヌ文化は、さまざまな周辺民族との交易を介して発展していき、江戸時代後半頃には野菜の栽培も行っていたと言います。

アイヌの人々はしばしば松前藩の人々からひどい扱いを受けていたり、歴史的な背景があったりして両者の関係は決して対等であったとは言えず、近代に入ってからも両者の相互理解は難しかったようです。

明治に入ると、蝦夷地は日本に組み込まれ、北海道と呼ばれるようになります。
明治以降、北海道はロシアとの国境を維持するための防衛線として軍事的に重要な拠点となり、またその広大な土地を利用して殖産興業のモデルケースとしての成功も収めていくことになります。

開拓使と北海道の近代化

北海道開拓と言えば、中学校や高校の教科書にも載っている「開拓使」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

開拓使とは、北海道開拓のために明治2年(1869年)に設置された政府機関で、北海道の開拓や産業促進とともに、ロシアへの睨みを利かせ、北の守りを強化する機関でもありました。
明治政府のスローガンとも言える「富国強兵」を実現するための基点として、当時の北海道は重要視されていたのです。

明治政府に開拓使の設置を提案したのは、佐賀藩士の島義勇という人物です。
彼自身は明治政府との軋轢により1年ほどで任を解かれてしまいますが、開拓使に勤める者の多くは職を失くした諸藩の士族たちでした。

開拓使が設置された当初の北海道は原生林が生い茂り、道路や水道の整備のための土木工事が必要不可欠でした。
開拓使は、土木工事や産業促進のためにいわゆる「お雇い外国人」を道内に呼び入れ、炭鉱や鉄道の建設から、農学校やビール工場の創設など、さまざまな事業を成し遂げていきました。
特に札幌農学校で教鞭をとったウィリアム・スミス・クラークは有名ですね。

開拓に関する指示はもちろん開拓使が出していましたが、その指示の下で実際に動く人員が必要です。
明治政府は、さまざまな扶助を出したり、屯田兵を募集したりして、北海道への移住を促しました。
そのおかげか、北海道では、さまざまな産業が全国に先駆けて発展し、その遺構が今も数多く残されています。

開拓使の廃止とその後の北海道

明治15年(1882年)、開拓使は廃止され、その機能は函館、札幌、根室の3県に移され、明治19年(1886年)にはそれらが統合され北海道庁となります。
また、屯田兵は日清戦争を前に臨時第七師団が編成され、現在の陸上自衛隊の北部方面隊へと繋がっていき、今も北の守りを固めています。

明治中期頃から北海道開拓はどんどん加速していき、明治2年頃には6万人ほどであった人口は、明治19年頃には30万人に、大正時代には217万人にも増加し、現在の北海道の人口は520万人にものぼります。

今日の北海道の発展、ひいては日本の発展の影には、開拓使や屯田兵をはじめさまざまな人々の努力があるのです。

北海道開拓に関連した観光スポット

さいごに、今回皆さんと一緒に学んできた北海道開拓に関連した観光スポットについて軽くまとめておきたいと思います。

北海道開拓は主に札幌を中心に行われたため、近代の産業革命遺産も札幌近郊に固まっており、大変観光しやすくなっています。
ぜひ北海道観光の参考になさってください。

北海道開拓の村

54.2ヘクタールという広大な土地に農村・漁村・市街地などのさまざまな歴史的建造物が移築・再現された「北海道開拓の村」では、明治から昭和初期にかけての人々の暮らしや都市の様子を体験することができる施設になっています。
北海道開拓の歴史について学び、体験したいという方は、まずはここから訪れてみてはいかがでしょうか。

赤れんが庁舎

旧北海道庁舎、通称赤れんが庁舎は、現在の庁舎が完成するまで約80年間実際に使われていた庁舎で、一般公開されており、北海道の歴史に関する展示も行われています。
札幌駅から徒歩5分とアクセスも良く、法華堂のシンボル的な建造物です。

当時の建物がそのまま残っているので、大変見ごたえがあります。
開拓使の庁舎があった場所は、赤れんが庁舎の北側にある白い線の囲みのあたりです。

北海道大学・札幌時計台

北海道大学は札幌農学校を前身としており、観光スポットとして有名な札幌時計台は、もとはその演武場でした。
北海道大学内にはさまざまな文化財があり、一般に広く公開されています。

ただし、キャンパスは東京ディズニーランドに匹敵するほど広大な敷地となっていますので、あらかじめ計画を立ててから観光することをおすすめします。

サッポロビール

サッポロビールは、開拓使麦酒醸造所を前身とする、日本で最も古いビール製造会社です。
博物館や開拓使館といった文化財の見学とともに、限定の復刻版ビールも楽しむことができます。

関連記事

カテゴリー

アーカイブ