長野県の定番観光スポット!善光寺の歴史と観光

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長野県の定番観光スポット 善光寺の歴史と観光

古くから人々の信仰を集めてきた善光寺。
今では、長野県を代表する定番観光スポットになっています。

近くで長野オリンピックが開催されたこともあって、外国人観光客からも広く知られている寺社です。

本記事では、善光寺にまつわる歴史や観光の見どころについてご紹介していきたいと思います。

古くから人々の信仰を集めてきた善光寺

「遠くとも 一度は参れ 善光寺」との言葉があるように、古くから人々の信仰を集めてきた善光寺。
現在でも長野県屈指の観光地として、一生に一度は訪れてみたいと思う方も多いのではないでしょうか。

善光寺の長い歴史や、境内の見どころなどの情報を事前に知っておけば、参拝がもっと楽しくなるはず。

ここでは、善光寺の歴史について触れながら、観光に役立つような情報を皆さんにお伝えしていければと思います。

善光寺の歴史

善光寺の始まりは、書物で追うことができないほど古く、境内から白鳳期の瓦が発見されたため、少なくとも7世紀半ばごろには相当な規模の寺院が建っていたであろうと推測できます。

12世紀ごろに書かれた「伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)」にある、「8世紀ごろの京の都ではすでに善光寺が日本最古の霊仏であると知られている」という旨の記録が、最も古いであろう記録です。

貴族を中心に浄土信仰が盛んになった10世紀後半には、善光寺聖がご本尊の分身仏を背負いながら全国を周り、民衆に善光寺信仰を広めたという記録もあります。

鎌倉時代になると、幕府を開いた源頼朝や執権の北条一族が篤く善光寺を信仰し、田畑やお堂などを寄進しました。

善光寺信仰は全国に広まり、分身仏をお祀りする新善行寺と呼ばれるものがさまざまな場所に建ちます。
善光寺にも各宗派を開いた著名な高僧たちが帰依しました。

やがて戦国時代に入り、寺院も数多の争乱に翻弄されるようになると、善光寺の御本尊は時の権力者たちの間を行き来するようになります。

上杉謙信と川中島の戦いを繰り広げた武田信玄は、御本尊だけでなく什宝や僧侶たちまでをも甲府へ呼び寄せ、善光寺の組織自体を手中に収めてしまいました。

その後、織田、徳川、豊臣と渡り歩いた御本尊は、秀吉の夢枕に立ち、「信州に帰りたい」と言ったそうで、秀吉は御本尊を京の方広寺から善光寺へと戻します。
慶長3年(1598年)のことでした。

民衆文化の成熟と善光寺参り

江戸幕府が出来て平和が訪れると、徳川家康からの多額の寄進をもとに、戦乱で荒廃した善光寺の復興が進みました。

江戸時代には冒頭でご紹介したような「遠くとも 一度は参れ 善光寺」という言葉や、「一生に一度は善光寺参り」というような言葉が生まれるなど、善光寺は民衆の信仰の拠り所であると同時に、旅行先としての人気も集めるようになります。

伊勢神宮や四国の八十八か所霊場巡りなどと並んで、善光寺周辺は一大観光地としての発展を遂げました。
旅行がブームになるほど、世の中は平和になり、民衆文化が成熟した証とも言えます。

一方で、善光寺は長い歴史のなかで幾度か火災にも見舞われました。
特に元禄13年(1700年)の火災はひどいもので、焼失前に計画のあった本堂移築のための資材も一緒に燃えてしまったのです。

善光寺の僧侶たちは本堂再建に向けて「出開帳(でかいちょう。御本尊の分身仏である前立本尊を奉じて全国をまわること)」を5年間行い、2万両を集めます。
こうして宝永4年(1707)に現在の本堂が完成し、続いて伽藍が整えられました。

明治維新以降の交通網の発達後、善光寺の参拝客数は順調に増え、平成10年(1998年)の長野オリンピックの開会式に登場したり、平成22年(2010年)のダライラマ法王が訪れたりするなど、現在は世界中から注目される寺院になっています。

善光寺の見どころ

それでは、善光寺を参詣する際の見どころをご紹介していきましょう。

仁王門

参拝の際にまず目に入るのが、「阿形(あぎょう)」と「吽形(うんぎょう)」の二体の仁王像。
門には善光寺の山名である「定額山(じょうがくざん)」という文字が掲げられています。

山門

国の重要文化財にも指定されている山門は、平成の大修理が完了し、登って中を見学することもできます。
赤穂浪士や奇兵隊にもゆかりのある場所なので、お好きな方はぜひ一度見てみたいですね。

本堂

江戸時代に再建された本堂。
御本尊を見学することはできませんが、「不滅の常燈明」に詣でることで極楽浄土に往生できると言われています。
分身仏である「前立本尊」は7年に1度一般公開されています。

お戒壇巡り

善光寺名物のお戒壇巡り。
暗い回廊を歩いて行くというもので、前の人との間隔に注意しながら歩いて行かなければならないので少しスリルのようなものを感じることができるそうです。

経蔵

江戸時代を代表する経蔵建築である「五間四方宝形造り」の経蔵。
こちらも国の重要文化財に指定されています。

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