親子で楽しめる!戦国最大級の城郭・小田原城の魅力

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親子で楽しめる 戦国最大級の城郭・小田原城の魅力

戦国時代の関東を統べた北条氏が拠点を構えた小田原城。

天下統一を目前に控えた豊臣秀吉が北条氏を滅ぼした「小田原攻め」で有名な小田原城は、歴史やお城が好きな人はぜひ一度は訪れてみたい観光スポットのひとつであると思います。
また、平成に再建された天守内部や「NINJA館(歴史見聞館)」では小田原の歴史を学んだり忍者体験ができるようになっており、子どもにも人気です。

本記事では、最近は親子で楽しめる観光スポットとしても人気を集めている、小田原城の歴史や魅力に迫っていきたいと思います。

お城に詳しい人もそうでない人も楽しめる小田原城

世界的に有名な少年漫画にも登場した「風魔小太郎」は、代々「小太郎」を名乗り、小田原に仕えたと伝わっている忍者です。

忍者に関する記述はほとんど残っていませんが、小田原城の「NINJA館」は主に子どもを対象とした忍者のテーマパークのようになっており、デジタル技術を駆使した体験型アトラクションを楽しむことができます。
最近は漫画を通して忍者に興味を持った外国人にも人気なのだとか。

小さな汽車などのかわいらしい遊具がある「子ども遊園地」や、戦国時代の装束の貸し出しなど、小田原城はお城や歴史に詳しい人だけでなく幅広い層が観光を楽しめるようになっています。

小田原城の歴史

小田原城は、相模守である上杉氏の家臣・大森氏によって15世紀半ば頃に築城されました。

しかし、当時は駿河の今川家の家臣であった北条早雲(伊勢宗瑞)によって、早くも15世紀末期には奪われてしまいます。
早雲は非常に深謀遠慮に長けた武将であったようで、小田原城乗っ取りに関しても興味深い逸話が伝わっています。
事実であるかどうか定かではありませんが、興味のある方は調べてみてください。

小田原城を手に入れた後も早雲は居城である韮山城を動かず、息子・氏綱に小田原を任せます。
早雲の死後家督を継いだ氏綱は小田原を拠点とし、北条氏(鎌倉幕府の執権を務めた北条氏と区別するために、後北条氏と呼ぶこともある)は関東を中心に大きく勢力を広げました。

同時期に近郊で勢力を広げた上杉謙信や武田信玄が大軍で小田原城を囲んだこともありましたが、いずれも数日で退却しており、いかに小田原城の守りが堅いかを窺うことができます。

戦国末期に入ると総構えが構築され、秀吉が小田原に攻め込むころには万全の守りが固まっていると思われましたが、3か月の籠城の末に小田原城は落城、北条氏は切腹や謹慎を申し付けられ、事実上の滅亡を迎えます。

江戸時代に入ってからはしばらく天領であったりいくつかの家が小田原を治めていたりしましたが、最終的に小田原で明治時代を迎えたのは大久保氏。
度重なる天災によって小田原城はほとんどの建物を失いました。

戦後に入ると天守が再建され、平成の大改修を経て今に至ります。

秀吉による小田原攻め

この項では、小田原城を訪れる前に知っておきたい、小田原城が潜り抜けてきた籠城戦のなかでも特に有名な秀吉による小田原攻めについてクローズアップしていきたいと思います。

天下統一を目前にした秀吉は「惣無事令」を出して全国の大名たちに停船命令を出しますが、北条氏はいつまでもそれに従わず、天正18年(1590年)3月、ついに秀吉は小田原へ攻め込みます。

とはいえ、小田原城は名将たちが攻めあぐねた難攻不落の城。
いくら秀吉といえども無策で挑むわけにはいかず、まずは小田原城を囲む支城を攻め落として小田原城を孤立無援状態にします。
さらに秀吉は、得意の土木工事を用いた城攻めを行います。
わずかな期間で小田原城を見下ろすような城を気づき、文字通り高みの見物で北条氏が降伏してくるのを待ったといいます。

小田原城は北条氏政と重臣たちの切腹、氏政の息子・氏直に蟄居をもって落城します。
北条氏降伏の際の秀吉側の交渉役が黒田如水で、切腹を免れた北条氏直は彼に吾妻鏡などのお礼の品を送ったというのは大河ドラマでも描かれるほど有名な出来事です。
余談ではありますが、もともと秀吉に疎まれていた如水はこの出来事で秀吉の不信感や嫉妬心を買ったのか、その後ますます遠ざけられてゆくこととなります。

小田原城の城郭の変遷

小田原城は、最初に小田原の地に築城した大森氏、小田原を中心に関東の覇権を握った北条氏、そして徳川幕府の三者が、時代に応じて改築してきました。

大森氏の時代から小田原城は現在の場所にあったと推測されており、当時から関東の交通の要所であっただけにそれなりの規模の城郭であったのではないかと考えられています。
また、北条氏の時代にはさらに城郭が拡張され、城下町ごと堀で囲む総構えを築いていました。

江戸に入り、城が持つ役割は、籠城のための備えや敵ににらみを利かせることから、幕府の意向を知らしめるものへと変わってゆきます。
現在の城郭はこの江戸期のもの。
天災によって消えてしまった建物は今日私たちが目にすることはできませんが、西から江戸へと入る大名たちの目には徳川幕府のゆるぎない権力の象徴として映ったことでしょう。

まとめ

戦国時代のロマンが詰まった小田原城は、歴史やお城に詳しい人だけでなく、子どもなど幅広い世代の人が楽しめるように工夫が凝らされた観光スポットです。

都心から行きやすい場所にありますので、ぜひ一度訪れてみてください。

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