東北地方で唯一の現存天守を持つ!弘前城の魅力

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東北地方で唯一の現存天守を持つ弘前城の魅力

東北地方で唯一天守閣が現存する青森県の弘前城は、全国的にも城郭がきれいに残っている城址として知られ、なかなかに見ごたえのあるお城です。
春には堀沿いに植えられた桜が一斉に咲き、幻想的な景観を生み出します。

城自体の美しさもさることながら、弘前城が辿ってきた数奇な運命にも注目して観光すると、また違った視点で城郭を見学することができます。
また、弘前城は徒歩10分圏内に「津軽藩ねぷた村」があるなど、周辺の観光地からのアクセスも大変良い場所です。

本記事では、弘前城の歴史や城郭の魅力について見ていきたいと思います。

弘前城築城の経緯

まずは、弘前城が築城された経緯から見ていきましょう。

徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利し、慶長8年(1603年)に高岡(鷹岡とも。現在の弘前)の地に拠点を移した初代藩主・津軽為信(ためのぶ)によって弘前城の築城が開始されます。

為信は出自に諸説がありますが、通説としては陸奥の名門・南部氏の出身で、養子として大浦家に入ったのち津軽を統一、小田原城攻めの前には豊臣秀吉から本領安堵を約束されたそうです。
しかし、為信はついに城の完成を見ることなく、慶長9年(1604年)に息を引き取ります。

為信の息子で2代目藩主・信枚(のぶひら)がその遺志を継いで幕府から築城の許可を得たのが慶長14年(1609年)、築城を再開するのは慶長15年(1610年)のことでした。

落雷による天守焼失と再建

築城再開の翌年には五層もある立派な天守が完成するのですが、寛永4年(1627年)、天守は落雷により焼失してしまいます。
現在は「お城と言えば天守」というようなイメージですが、天守はもともと籠城のための施設であり、普段は武器庫として弾薬などをしまっていたので、天守への落雷による火災はすさまじいものでした。

当時落雷は縁起の悪いことで、陰陽学の観点からも不吉であると考えられることもあったので、翌年信枚は徳川家康の側近としても名高い南光坊天海の助言で高岡という地名を現在の弘前に改めます。

当時の江戸幕府は、謀反や軍事力増強を恐れたため、武家諸法度によって諸藩の新たな築城や城の補修を厳しく制限しており、すぐに天守を再建することはかないませんでした。
幕府から天守再建の許しが出たのは焼失から約200年後の文化7年(1810年)のこと。

弘前藩が天守再建をこのタイミングで願い出た背景に、当時国防のために意識しなければならなかったロシアへの備えがあります。
幕府から蝦夷地警備を任せられていた弘前藩は、ほかの諸藩と比べると軍備増強の規制はかなり緩かったでしょう。

また、天守を新たに建造するのはさすがに幕府が許さないと思ったのか、届け出された書類には「天守」ではなく「櫓(やぐら)」を建造したいとの旨が記載されています。
櫓とは攻めてきた外敵を見張るために造られる背の高い建物のことです。
高いところから敵兵を監視するという意味では天守もある意味櫓の一種と言えないこともありませんから、うまい言い訳であったと思います。

天守の再建は歴代城主の悲願であったのかもしれませんが、幕政が不安定になり武士の権威が失墜していくなかで領民に対して今一度威光を知らしめたいという目的もあったのではないでしょうか。

幕末の混乱のなかでも弘前城の天守は残り続け、明治に入ると本丸御殿など一部の建物は壊されてしまいますが、「弘前公園」として広く市民に開かれ、今日に至ります。
現在は天守や三の丸東門などが国の重要文化財に指定されています。

昭和58年(1983年)の日本海中部地震をきっかけに見つかった「はらみ(石垣が外側に膨れること)」を直すため、石垣を修理しなければならなくなりました。
そこで、天守が曳家される(簡単に言うと天守を移動させること)など大規模な工事が現在もなお行われています。

弘前城の見どころ

ここからは、城郭としての弘前城の見どころや特徴について見ていきましょう。

弘前城は「梯郭式平山城」と呼ばれる縄張りになっています。

縄張りとはお城のつくりのこと。
「梯郭式」とは、本丸を端に置き、その二方を二ノ丸、三ノ丸と囲んでいくよう曲輪配置のことです。
本丸が直接外部と接することになるため、背後には川や崖などの天然の要害が必要になってきます。

「平山城」とは、小高い丘を利用して作られたお城のことです。
防御機能と交通面や都市計画面の利便性を兼ね備えた、近世以降の城郭ではスタンダードなかたちです。

弘前城はまさにこの「梯郭式平山城」の典型とも言える造りをしており、層塔型(最上階に展望のための回廊などを設けない造りのこと)の天守にはストイックさを感じます。

お城の造りをわかったうえで登城すると、より有意義な時間を過ごすことができるかもしれません。

アクセスも良く周辺に観光地も多い立地

弘前城は徒歩10分圏内に「津軽藩ねぷた村」があるなど、周辺の観光地からのアクセスも大変良い場所です。

弘前はこのほかにも、明治期の産業遺構などさまざまな観光スポットがありますので、ほかの観光スポットと並行して弘前城にもぜひ立ち寄ってみてください。

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