壮大な規模の古代ミステリー―世界遺産・百舌鳥・古市古墳群

国内旅行情報

壮大な規模の古代ミステリー 世界遺産・百舌鳥・古市古墳群

エジプトのピラミッドや中国の始皇帝陵に匹敵するほどの規模を持つ仁徳天皇陵。
壮大なスケールと、神秘的でありながら愛嬌のある前方後円墳のフォルムから大きな注目を集めています。

そんな仁徳天皇陵を含む百舌鳥・古市古墳群は、まさに古代ミステリーの宝庫。
主に5~6世紀ごろを中心に、大小さまざまな古墳が密集しています。
その規模と不思議な幾何学形状には圧倒されるばかりです。

本記事では、大阪府の世界遺産・百舌鳥・古市古墳群について解説していきたいと思います。

大阪初の世界遺産

古代から続く寺社仏閣から最先端の技術を駆使した高層ビルまで、さまざまな時代や文化が共存している大阪ですが、意外にもこれまで世界遺産に登録された場所はありませんでした。
まるで古墳の見本市のように日本各所にあるさまざまな形の古墳が揃う百舌鳥・古市古墳群が、その価値を認められて世界遺産に認定されたとき、はじめて大阪府内に世界遺産が誕生したのです。

古代日本が中央集権国家になってゆく足跡のようなものが見られる百舌鳥・古市古墳群は、ミステリーとロマンにあふれた観光スポット。
大阪観光の際には、ぜひ立ち寄りたい場所です。

古墳とはどのようなもの?

この項では、一般に「古墳」と呼ばれるものがどのようなものかについて、できるだけわかりやすく解説したいと思います。

古墳とは、土を高く盛り上げた墳丘を持つお墓のことです。
時代によって形式はさまざまに変化しますが、百舌鳥・古市古墳群にある巨大な陵墓の多くは斜面に葺石が敷き詰められていたり、周りを堀で囲まれていたりとかなり大規模な建造物になっています。

墳丘や堤の上に並べられた埴輪や、墳丘の内部に一緒に埋葬されている副葬品などから、造られた時代・被葬者の身分を特定し、記録と照らし合わせて誰が埋葬されているかの検討を付けていきます。

古墳の種類

さまざまな形がある古墳。
大きく分けると、4つの種類から成ります。

まずは、日本独自の形状である前方後円墳。
その名の通り方形部と円形部から成り、主に近畿地方を中心に分布しています。

その派生形である帆立貝形古墳は、一部の権力層しか前方後円墳での埋葬を許可しないとする風潮が生まれた時代に、前方部を控えめに作ることで遠慮した形を取ったものであると言われています。

全国各地に分布する円墳は、日本で最もよく見られる形状です。

時代が経つにしたがって、古墳は身分に関係なく次第に四角形の方墳が多くなります。
このように、古墳の形によって被葬者の特徴をある程度予測することができるのです。

ここからは、数多ある百舌鳥・古市古墳群に属する古墳のなかから、特に有名なものをいくつかピックアップしてご紹介していきたいと思います。
百舌鳥古墳群と古市古墳群は少し離れているので、観光の際は場所をよく確認してから訪れてください。

仁徳天皇陵(百舌鳥古墳群)

日本最大の古墳であり、世界的にもかなりの規模を誇る仁徳天皇陵。
その大きさはクフ王のピラミッドや始皇帝陵にも匹敵するほど。

周囲には10基以上の陪塚があり、副葬品の刀剣、甲冑、壺なども踏まえて被葬者はかなり身分の高い人物であると思われます。

宮内庁が管理しているため現在大掛かりな調査は行われていませんが、日本書紀の記述との齟齬が見られることから正確な被葬者は特定されていません。

いたすけ古墳(百舌鳥古墳群)

タヌキ一家で一時期話題になった、いたすけ古墳。
少しずんぐりむっくりとしたフォルムの前方後円墳です。

住宅造成計画により破壊の危機に瀕したこの古墳は、市民の懸命な保全活動により今日までその姿が残されてきたという背景があり、堺市の文化財保護のシンボルマークにもなっています。

反正天皇陵(百舌鳥古墳群)

仁徳天皇陵の3分の1ほどの大きさの前方後円墳である反正(はんぜい)天皇陵。
天皇陵としてはやや小ぶりですが、その詳しい要因はわかっていません。

2基ほどの陪塚が周辺にあります。
こちらも宮内庁が管轄しており、現在大掛かりな調査は行われていません。

現在は堀が一重になっていますが、かつては二重であったのではないかという説もあります。

応神天皇陵(古市古墳群)

古市古墳群最大の規模を持つ応神天皇陵。

3段に積み重ねられた墳丘の側面には石が葺かれており、大量の円筒埴輪が建て並べられていたと推察されることから、5世紀前半のものとされています。
くじらやタコなどの土製品が出土しているのも興味深い点です。

白鳥陵古墳(古市古墳群)

こちらも前方後円墳の白鳥陵古墳。
丘陵上に造られ大型の前方後円墳で、前方部の幅が後円部の直径を上回っていることが特徴です。

日本書紀によると、ヤマトタケルが遠征の帰り道に伊勢で亡くなり、白鳥となって古市上空を「羽を曳くように」飛び去った、とのこと。
これは、古市古墳群がある羽曳野市の市名の由来でもあります。

関連記事

カテゴリー

アーカイブ