北海道、青森県、岩手県、秋田県に点在する17の遺跡から成る世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」。
縄文時代の遺跡は全国にありますが、これら17の遺跡が特に評価されたのはなぜなのでしょうか。
本記事では、縄文時代はどういう時代なのか、これらの遺跡群にはどのような学術的価値があるのかなどについてわかりやすく解説していきたいと思います。
北海道・北東北の縄文時代について
まずは、遺跡群がある北海道・北東北の縄文時代とはどのような時代であったのかについて見ていきましょう。
縄文時代は、寒冷な気候が続いた旧石器時代と、稲作が始まった弥生時代の間の時代を指し、日本独自の時代区分になっています。
北海道・北東北は、変化に富んだ地形や湖、川に恵まれ、ブナ林を中心とする冷温帯落葉広葉樹の森林が広がっていました。
暖流と寒流が交わる絶好の漁場であり、サケやマスなどの回遊魚が遡上する地域です。
このように安定した食料環境に恵まれた地域では、人々は狩猟・採集・漁労を行いながら徐々に定住をはじめます。
ほかの地域にはあまり見られない定住の証が見られるのが、この遺跡群の最大の特徴。
狩猟・採集・漁労を行いながら定住をするのは世界的にも珍しく、人々は自然と調和する生活の中で豊かな精神文化を育んでいきました。
どの部分が評価されて世界遺産に登録されたのか?
では、「北海道・北東北の縄文遺跡群」はどのような点が評価されて世界遺産に登録されたのでしょうか。
まずは、1万年以上もの長い間継続して定住し精緻な精神文化を築いていたことが、残された遺跡などからはっきりと示されているということです。
狩猟・採集・漁労を行いながら定住するというケースは世界的にも非常に稀であり、加えて祭礼や儀礼のための盛土遺構や環状列石なども発掘されていることから高度で複雑な精神文化を、何世代にもわたって受け継いできたことが高く評価されました。
もうひとつのポイントは、その土地の自然や気候に溶け込みながら、食料を安定的に手に入れて永続的に生活を営んでいたこと。
農耕社会のように土地を耕すなどして大きく変化させることなく食料を獲得し、それぞれの地域の特色に応じてその術や道具を受け継いで維持していたことなどが高く評価されました。
代表的な構成遺跡
世界遺産に認定された遺跡群は17の遺跡で構成されています。
ここではその中から、交通の便などにも配慮して代表的な6つをご紹介していきたいと思います。
入江・高砂貝塚(北海道)
入江貝塚は縄文時代末期の遺跡。
骨角器が出土していることから、狩猟・漁労が活発に行われていたと考えられているそうです。
共同墓地からは筋萎縮症に罹患していたと思われる人骨が埋葬されていることから、周囲の人々の介護を受けながら生活していたこともうかがえます。
入江貝塚の近くにある高砂貝塚は縄文時代末期の遺跡。
貝やマグロ、カレイなどの魚類、エゾシカ、イルカなどの哺乳類の骨が発見されており、共同墓地も発掘されたことから祭礼や儀礼の痕跡も確認できます。
大船遺跡(北海道)
縄文時代中期の遺跡。
貝や魚類の骨だけでなく、クリ、クルミ、ウルシ、ヤマブドウなどの山の恵みもうまく活用して生活していた痕跡があります。
垣ノ島遺跡(北海道)
縄文時代初期の遺跡。
国内最大規模の盛土遺構が発見されており、祭礼・儀礼が盛んに行われていたことがうかがえます。
小牧野遺跡(青森県)
縄文時代後期の遺跡。
大きな環状列石や、その周辺の墓域などから出土した土偶や土器といった祭祀的要素の強いものから、成熟した祭礼・儀礼が行われていたことが確認できます。
隣接する縄文の学び舎・小牧野館では、出土品や環状列石についての展示がなされています。
三内丸山遺跡(青森県)
中学校や高校の教科書にも登場する、縄文時代中期の遺跡。
盛土遺構からは2000点を超える土偶が出土するなど、祭礼・儀礼が長期間継続して行われていたことがわかります。
ヒスイやアスファルトなども出土していることから、海外との交易も盛んに行われていたのではないかと考えられています。
大平山元遺跡(青森県)
17の遺跡群のうち、最も古い時代のものであると考えられている遺跡。
縄文土器は通常紋様が付いていますが、無紋の土器が出土していることから、旧石器時代と縄文時代の転換期の遺跡であることが確認できます。
柱穴の痕跡なども見受けられないことから、移動式テントのようなものを使い自然に溶け込みながら生活していたことが推測され、遊動から定住への流れが見て取れる遺跡です。
まとめ
世界遺産に登録されている「北海道・北東北の縄文遺跡群」について解説しました。
世界的にも珍しい定住型の狩猟・採集社会の存在を示す貴重な遺跡群で、非常に学術的価値の高いものばかりです。
1度に全てまわるのは難しいかと思いますが、エリアごとに分けるなどして訪れてみてください。