大仏や五重塔など、奈良公園周辺の観光スポットが注目されることが多い奈良県ですが、実は全国的にも珍しいくらい古墳が密集した地域でもあります。
かつて大和王権があり、藤原京や平城京もあった奈良は古代の皇族や貴族たちが暮らし、こぞって墓を建てた場所でもあるのです。
なかには文字資料が残っていない時代のものもあり、魅力的な古代ミステリーは人々の心を掴んで離しません。
特に明日香村は徒歩や自転車で見て回れるほど古墳が密集しており、レンタサイクルでの観光が主流です。
本記事では、明日香村を中心に奈良の古墳についてご紹介していきたいと思います。
古墳が密集する奈良・明日香村
高度経済成長期の高松塚古墳発掘により古墳ブームが巻き起こった飛鳥。
その後の発掘調査により次々と私たちの前に現れた明日香の古墳群は、懸命な調査が続けられているものの、今なおわかっていないことが多いです。
一次的な文字資料に乏しい時代の古墳も多いので、誰が埋葬されているのかも特定できていない古墳もあります。
誰が埋葬されているのか、どうしてこの地に眠っているのか、副葬品にはどのような意味があるのか。
古墳からもたらされる情報には謎が多く、まさに古代ミステリーの宝庫であると言えます。
分からないことが多くとも、確かに人々の営みと巨大権力の存在を知らしめる奈良の古墳群。
明日香村の古墳めぐりは、開発が進む前に保全されてきたのどかな風景と相まって、万葉のまほろばの風が感じられます。
明日香の古墳3選
この記事では、古墳の魅力が少しでも伝わるように、明日香村にある古墳群の中でもとりわけ有名な3つをご紹介していきたいと思います。
これを機に古墳について興味を持ってもらえたら幸いです。
高松塚古墳
まずは飛鳥の古墳ブームを巻き起こした高松塚古墳から。
古代中国道教の影響を受けたと思われる石室内には、東壁には青龍と日像、西壁には白虎と月像、北壁には玄武、東西の両脇には人物像、天井には星宿図が描かれています。
そのなかでも西壁の女性の人物像は有名で、「飛鳥美人」などの名で取り上げられることも多いです。
発掘当時は稀であった極彩色の壁画は文化庁や有識者たちが発掘調査を進めましたが、被葬者はいまだにはっきりとはわかっていません。
保存上の観点から直接中を見ることはできませんが、併設されている「高松塚壁画館」には壁画の復元や解説が展示されています。
大陸の影響を色濃く受けつつも、すでに日本独自の画風が表れているさまが非常に興味深いです。
キトラ古墳
高松塚古墳に次いで発見された壁画古墳で、こちらも飛鳥の古墳ブームに一役買った存在。
比較的小さな古墳ですが、壁画がきれいに残っている貴重なサンプルケースです。
東壁に青龍、南壁に朱雀、西壁に白虎、北壁に玄武、天井に天文図が描かれており、盗掘による被害もないため四神すべてが揃う唯一の古墳です。
キトラ古墳の被葬者も明らかにはなっていませんが、正倉院に納められている宝物に匹敵するような出土品が出てきたことから、皇族や有力貴族の墓であろうと類推されています。
平成28年にできた「キトラ古墳壁画保存管理施設(キトラ古墳壁画体験館 四神の館)」は空調設備がしっかりとしており、非常に良い保存状態を保ちながら今も調査が続けられています。
石室の様子やそれに関連したわかりやすい展示もあるので、古墳と合わせて訪れてみてください。
石舞台古墳
さいごは日本最大級の方墳である石舞台古墳。
巨石が積み上げられたそのビジュアルからして古代の神秘を感じさせます。
一般的な古墳は石室の上に土が盛ってあるのですが、石舞台古墳は石室がむき出しになっており、平らな石が舞台のように見えることから「石舞台」の名が付けられました。
石の運搬方法については諸説ありますが、総重量は約2300トンの石を運んだ当時の運搬技術は大変優れたものであったことがうかがえます。
こちらも被葬者は明らかになっておらず、7世紀初頭に造られたと推測されていることから当時隆盛を誇った蘇我氏の墓とする説が有力なようですが、江戸時代の国学者・本居宣長は推古天皇や用明天皇とする説も挙げています。
石舞台古墳は前述した2つの古墳とは違い、石室の中も常時見学可能です。
積み上げられた巨石の中に入っていくと石と石のあいだから光が差し、幻想的な空間が広がっています。
石室と聞くと狭いという印象があるかもしれませんが、大人でも難なく出入りでき、中も意外と広く感じます。
周囲の芝生公園の四季の移ろいも美しい古墳です。
まとめ
奈良の古墳群について解説しました。
今回ご紹介した3つの代表的な古墳以外にも、奈良には魅力的な古墳がたくさんあります。
ぜひレンタサイクルを利用して、のどかな明日香村の雰囲気を楽しみつつ古代ミステリーに浸る時間を過ごしてみてください。