東京都内の合格祈願の定番として知られている湯島天満宮(湯島天神)。
学問の神様である菅原道真をお祀りしている神社で、梅園が美しいことでも有名です。
実は徳川幕府とも深い関わりがある歴史的な観光スポットでもあります。
本記事では、湯島天満宮の歴史や見どころについてご紹介していきたいと思います。
湯島天満宮のはじまり
湯島天満宮のはじまりは、1500年以上前の雄略天皇の時代にまで遡ると言われています。
天皇の勅命により創建されたとの言い伝えもある由緒ある神社です。
湯島天満宮が確実に存在したとされる最古の記録は14世紀ごろのもので、このころに天神さまである菅原道真を勧進し、天満宮となりました。
15世紀ごろに江戸の地を治めた太田道灌と呼ばれる人物は、江戸城の基礎も作った武将で、湯島天満宮の再建も行っています。
湯島天満宮は京都にある天神信仰の中心的な存在である北野天満宮の分霊者を持つ関東の神社の中で最も存在感のあるものであったようで、時代が下ると徳川幕府も積極的に保護や寄進を行っています。
ここで、天神信仰について少し触れておきたいと思います。
天神信仰とは、天神さま、つまり菅原道真に対する信仰のことで、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮を中心に、全国各地の天満宮と呼ばれる神社で行われています。
菅原道真や天神さまと聞くと、まず学問の神様を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
平安時代に活躍した菅原道真は、若年のころから学問に秀で、やがて天皇の信頼を得て国の中枢にまで上り詰めます。
しかし、政争に敗れ太宰府へ左遷されてしまいます。
報われないまま生涯を閉じた菅原道真ですが、その死の直後に都にさまざまな災いが起きたことから、人々は道真の祟りなのではと噂し始めました。
都の安寧を取り戻すため、北野天満宮が建てられ、道真の怒りを鎮めようとします。
こうして怨霊を鎮めるために始まった天神信仰は、やがて道真の生前の業績や特に学問における優秀さにあやかろうという人々が増え、現在のような形になったのです。
湯島天満宮と徳川幕府
関東の中でも有力な天満宮であった湯島天満宮は、文治政治を推し進める徳川幕府に篤く保護され、多額の寄進も受けるようになります。
湯島天満宮の近くには、学問に関連した幕府の施設が多く作られています。
特に朱子学を重んじた5代将軍・徳川綱吉の時代になると、孔子を祀った「湯島聖堂」、幕府の学問所であった「昌平坂学問所」など、湯島や昌平坂周辺は学問のまちへ。
湯島天満宮にも名だたる文人たちが参詣に訪れました。
湯島天満宮の見どころ
さいごに、湯島天満宮の見どころについて見ていきましょう。
表鳥居
都内にある鋳造の鳥居としては最古のものであると言われている湯島天満宮の表鳥居。
17世紀に寄進されたもので、都の文化財に指定されています。
撫で牛
菅原道真の遺骸を引いた牛が動かなくなった場所を墓に定めたことから、道真と関わりが深いとされている牛。
撫でた場所が良くなると言われており、特に合格祈願に訪れた学生は頭を撫でるのが定番です。
本殿
樹齢250年の木曽ヒノキで建てられた本殿。
現在の法律の下では純木造の建物を造るのは非常に難しいのですが、湯島天満宮は万全の防火対策を整えたうえで、建設大臣認定第一号を得ているそうです。
宝物殿
菅原道真に関連した作品などが治められている宝物館。
宝くじの元となった「富突(とみつき)」や、歌川広重の「江戸名所百景」など、貴重なものが展示されています。
梅園
菅原道真の都の屋敷にあった梅の木が道真を追って太宰府まで飛んできた、という「飛梅」の伝説があることから、天満宮には梅のモチーフがさまざまなところで使われ、境内には梅園があることが多いです。
湯島天満宮の境内にも梅園があり、毎年2月ごろになると「梅まつり」が開催されます。
江戸時代から人々に親しまれてきた梅の名所なので、ぜひ梅の季節を狙って訪れてみてください。
男坂・女坂
境内へと続く石段の坂。
男坂は38段、女坂は33段になっており、女坂の方が少し緩やかになっています。
春になると坂の両側に白梅が美しく咲き誇り、歌川広重の「江戸名所百景」第117景の「湯しま天神坂上眺望」にも描かれています。
学問のみち
湯島天満宮から仲御徒町へと続く道。
郊外から合格祈願に訪れる学生がJRの駅から迷わずに来ることができるようにと整備されたそうで、通るとご利益があると言われています。
まとめ
湯島天満宮の歴史や見どころについてご紹介しました。
長い歴史を持ち、江戸幕府からも庇護されてきた湯島天満宮。
特に江戸時代には、周囲に学問に関する幕府の施設が集まっていたこともあり、名だたる文人たちが訪れました。
合格祈願の場所としても有名ですが、江戸の人々も愛した梅の名所でもあります。
梅のシーズンにはぜひ足を運んでみてください。