江戸時代を通じて上杉氏が治めた米沢。
米沢牛やブドウなど、グルメも魅力的ですが、上杉氏と深い関わりを持つスポットが多く、歴史好きの方からも大きな注目を集めている観光地です。
かつて城下町として栄えた歴史ある場所であるという側面と、吾妻連峰や温泉など、豊かな自然にも恵まれた側面の両方を持つ米沢。
本記事では、上杉家と米沢の歴史や、米沢の定番観光スポットについてご紹介していきたいと思います。
上杉家と米沢
まずは、上杉家と米沢の歴史を紐解いていきたいと思います。
上杉と聞くと、真っ先に戦国武将の上杉謙信が思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか。
同時代に活躍した武田信玄と繰り広げた川中島の合戦はあまりにも有名です。
実は、このとき上杉家は越後国(現在の新潟県あたり)に領地を持っていました。
越後国の守護代であった謙信が関東管領の上杉家から家督を譲られたことから、上杉家は着実に勢力を伸ばし、戦国の世の中でも一目置かれるような存在になっていきます。
謙信の死後、実子がいなかった謙信の後継をめぐるお家騒動の末に家督を継いだ景勝は、豊臣政権下でも着実に地位を築き、徳川家康や前田利家らとともに五大老のひとりに選ばれました。
しかし、景勝の腹心であった直江兼続が石田三成と親しい仲であったこともあり、関ヶ原の戦いでは西軍側に立ち、戦いの発端となるような事件を起こしてしまいます。
関ヶ原の戦いで徳川家康に背いてしまった上杉家は、お取りつぶしは免れたものの、代々受け継いできた越後の地を追われ、米沢へ減封となりました。
大河ドラマの主人公にも選ばれた直江兼続は、米沢の城下町を現在のものに近い状態まで整えた人物でもあります。
義に篤く知恵が回るというキャラクターと直江状などの突飛なエピソードが定着し、人気の高い戦国武将です。
大幅に石高を減らしたにも関わらず旧来の家臣を抱えたままであった上杉家の財政は悪化していきます。
そんな上杉家の台所事情を大幅に改善し、数々の大胆な施策を打ち出したのが9代藩主・上杉鷹山。
「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり」という言葉があまりにも有名な鷹山ですが、ほかにも君主の心得を説いた「伝国の辞」など、多くの格言を残しています。
全国的にも有名な上杉鷹山ですが、地元では特に尊敬され、愛されています。
米沢の定番観光スポット
では、米沢の定番観光スポットについて見ていきましょう。
上杉神社
まずは、上杉家の繁栄の礎を築いた上杉謙信と、米沢藩の藩政改革を推し進めた上杉鷹山をお祀りしている上杉神社から。
明治時代に入ってから米沢城の本丸跡に建てられた神社で、当初は謙信のみをお祀りし、鷹山は摂社にお祀りされていたそうです。
現在の社殿は大正時代に再建されたもので、米沢出身で神社建築の第一人者・伊東忠太が手掛けたもの。
現在も米沢市民に広く愛され、人々の生活に寄り添う神社です。
宮坂考古館
米沢・置賜地方の考古資料や民俗資料、歴史文献などを集めた資料館。
甲冑、火縄銃、槍、屏風など、米沢藩ゆかりの貴重な品々を所蔵しており、その多くが国の重要文化財に指定されています。
前館長が生涯をかけて蒐集したコレクションは700点以上にもなり、その郷土史への熱心さが感じられる博物館です。
特に、上杉謙信、上杉景勝、直江兼続、前田慶次といった人気の戦国武将が着用したと伝わる甲冑をひと目見に、全国から多くの人々が訪れます。
上杉伯爵邸
大正時代に建築された上杉伯爵の邸宅。
現在は上杉記念館として一般に開放されており、建物を見学したり郷土料理をいただいたりすることができます。
近年は敷地内に和風カフェもオープンし、若い世代を中心に人気を集めています。
伝国の杜 米沢市上杉博物館
上杉家や米沢藩に関する貴重な品々を所蔵する市の施設。
特に国宝「洛中洛外図屏風」は教科書にも掲載されおり、多くの方が目にしたことがあるかと思います。
同じく国宝である「上杉家文書」も、武家文書としては初めて国宝に指定された貴重な資料です。
上杉家霊廟
歴代の米沢藩主たちがお祀りされている霊廟。
上杉家の家祖・上杉謙信公を中心に、11代藩主・斉定までの廟屋が並んでいます。
入り母屋づくりと宝形づくりの2種類の廟屋があり、時代による変遷も見ることができます。
赤湯温泉
米沢市からは外れますが、上杉家ゆかりの温泉。
米沢藩主たちも愛した名湯です。
ブドウの栽培が盛んな地域で4つのワイナリーがあり、試飲による飲み比べができるのも楽しみのひとつです。
まとめ
上杉家と米沢の歴史や、米沢の定番観光スポットについてご紹介しました。
上杉家の歴史について深く触れることができる米沢は、歴史や戦国武将が好きな方にはたまらない観光スポットかと思います。
歴史と自然が調和する米沢へ出かけてみませんか。