「走れメロス」、「人間失格」など、現在も幅広い世代に親しまれている作品を数多く残した作家・太宰治。
彼の出身地である津軽は、彼の著作にも登場する太宰ファンの聖地。
生家や疎開先など、文豪自身とかかわりの深いスポットも多いです。
津軽へ文学に浸る旅に出かけてみませんか。
本記事では、津軽地方の太宰治ゆかりの観光スポットについて解説していきたいと思います。
文豪・太宰治の故郷
大正時代から昭和初期にかけて活躍した文豪・太宰治。
新戯作派(無頼派)の一員として、人間の内面や社会に深く切り込んだ衝撃的な作品を数多く残しました。
私生活が乱れていたことでも知られ、自身の誕生日に幾度目かの自殺で亡くなったことをはじめ、数々の衝撃的なエピソードを持つ人物でもあります。
そんな彼が誕生したのが津軽の地。
青森県のなかでも有数の大地主の家に生まれ、父親は県議会議員、衆議院議員、貴族院議員などを歴任した名士でした。
当時のスター的存在の作家であった芥川龍之介にあこがれて小説家を志した太宰少年は多感な少年時代を津軽で過ごし、大学進学を機に上京します。
上京して文壇での存在感を確かなものにした太宰は、太平洋戦争が激化すると津軽に疎開し、そこでも数々の名作を生み出しました。
太宰が生まれ育ち、執筆活動も行った津軽は、彼の作品に大きな影響を与えているのです。
太宰治ゆかりの観光スポット
ここからは、太宰治の作品や彼自身にゆかりのある観光スポットをご紹介していきたいと思います。
芦野公園
太宰治が幼少期によく遊んだという公園で、敷地内には彼の銅像も立っています。
桜の名所としても知られており、キャンプ場も併設されていることから地域の行楽地として親しまれています。
隣接する喫茶店「駅舎」は、小説「津軽」にも登場するレトロでかわいらしい外観の赤い屋根の駅舎を改装したもの。
裸電球や電話、プラットフォームへと繋がる階段などが残されており、実際に芦野公園駅として利用されていた様子をうかがうことができます。
斜陽館
太宰治の父親が建てた彼の生家。
明治時代の和洋折衷建築を今に伝える貴重な建築物として、国の重要文化財にも指定されています。
蔵は資料館として利用されており、太宰治が実際に使用していたマントや執筆用具、直筆原稿、書簡が展示されているほか、初版本や翻訳本なども見ることができます。
太宰治の幼少期の記憶に触れることができる、まさに太宰ファンの聖地ともいえる場所です。
雲祥寺
太宰治の生家から近く、幼少期に子守りの女性によく連れてきてもらったというお寺。
境内の記念碑には、小説「思ひ出」に登場する「後生車」や、小説「津軽」の有名な一節である「汝を愛し汝を憎む」というフレーズが刻まれています。
南台寺
幼少期の太宰治が、境内で開かれていた日曜学校に通っていたというお寺。
現在も不定期ではありますが日曜学校が開催されているそうです。
ふかうら文学館(旧秋田屋旅館)
太宰治が実際に宿泊した旧秋田屋旅館を改修したもの。
太宰治をはじめ、大町桂月、成田千空など、深浦にゆかりのある文人たちを紹介している文学館です。
風情ある建物や赤い丸ポストが印象的で、レトロな雰囲気が楽しめます。
太宰治疎開の家(旧津島家新座敷)
太平洋戦争時に太宰治が家族とともに疎開した家。
兄・津島文治夫婦(太宰治の本名は津島修治)の新居の離れに建てられたもので、当時津島家では「新屋敷」と呼ばれていたそうです。
太宰はこの家で23もの作品を執筆したと言われています。
旧藤田家住宅(太宰治まなびの家)
旧制弘前高等学校に通っていた際に下宿していた親戚宅。
当時の弘高は全寮制で自宅通学者以外は基本的に寮に入らなければならなかったそうですが、太宰は病弱であると偽ってこの家から通学していたそうです。
多感な少年時代を過ごしたこの家には、太宰の思い出がたくさん詰まっていることでしょう。
憧れの作家・芥川龍之介の自殺を知って大きなショックと深い影響を受けたのもこの家に住んでいるときでした。
弘前市立郷土文学館
太宰治をはじめ、弘前市ゆかりの文豪たちが紹介されている文学館。
太宰に関する資料は常設展示されており、原稿や遺書などに関する展示を見ることができる、「斜陽館」に並ぶ太宰ファンの聖地として知られています。
同じ敷地内には、明治に建てられたルネッサンス様式の洋風建築である旧弘前市立図書館があります。
歴史ある弘前のまち並みを代表する建物ですので、ぜひ併せて立ち寄ってみてください。
まとめ
津軽地方の太宰治ゆかりの観光スポットをご紹介しました。
文豪・太宰治が生まれ育った津軽には、彼の作品や彼自身にゆかりのある観光スポットがたくさんあります。
太宰治のファンではなくても、教科書などで彼の作品に触れたことがある方も多いかと思いますので、津軽地方を旅行する際はぜひ立ち寄ってみてください。