「四万(よんまん)の病を癒す霊泉」という伝承が伝わる四万(しま)温泉。
豊かな自然に囲まれたのどかな温泉街で、都会の喧騒とはかけ離れた静かで癒される空間が広がっています。
都内から3時間ほどと、アクセスの良さもあって、関東圏の中でも人気の温泉街です。
緑にあふれた自然だけでなく、昭和レトロな温泉街の雰囲気を残すまち並みも魅力的。
本記事では、四万温泉の歴史や見どころについてご紹介していきたいと思います。
四万温泉へのアクセス
まずは、四万温泉へのアクセスから見ていきたいと思います。
上野駅からアクセスする場合は、特急四万号に乗ってJR中之条駅へ向かい、バスに乗り換え、トータルで165分ほど。
東京駅からは、上越新幹線(または北陸新幹線)に乗って、新宿駅からは新宿・湘南ラインに乗って高崎駅へ向かい、吾妻線に乗り換えてJR中之条駅へ移動してアクセスします。
所要時間は、トータルでそれぞれ145分、215分ほどです。
自動車で都内からアクセスする場合は、練馬ICから関越自動車道へ入り、渋川・伊香保ICで降りて伊香保温泉に向かいます。
所要時間は3時間ほどです。
四万温泉の歴史
ここで、四万温泉の起源や歴史について触れておきたいと思います。
四万温泉の起源には、2つほど説があると言われています。
ひとつ目は、征夷大将軍・坂上田村麻呂が入浴したのが始まりであるという説。
7世紀末から8世紀ごろの桓武天皇の時代、蝦夷征伐の際に立ち寄ったと言われています。
もうひとつは、源頼光の家臣で四天王と呼ばれた碓氷貞光が神託を受けたという説。
越後から上野国へと向かう際にこの地へ立ち寄り、夜もすがら読経していたところ、どこからともなく神様が現れ、「汝が読経の誠心に感じて四万「よんまん」の病悩を治する霊泉を授ける。我はこの山の神霊なり。」との神託を受けます。
翌朝貞光は温泉が湧き出しているのを発見。
一宇の堂を建立して薬師如来を安置し、この神託にちなんで地名を「四万(しま)」としたそうです。
四万温泉が湯治場として栄え始めたのは戦国時代ごろのこと。
岩櫃城主・斎藤基国に仕えていた田村甚五郎が、四万温泉の山口地区で宿を開いたことが始まりであると言われています。
岩櫃城と聞いて、真田氏を思い浮かべたという方も多いのではないでしょうか。
斎藤・田村両氏は真田氏を含む武田勢に攻め込まれて国を追われ、越後国の方へ逃れざるを得なくなりました。
その際、田村氏は山口地区に留まり斎藤氏の盾となり戦います。
追手を防いだ田村氏はそのまま山口地区に土着し、湯宿を始めたと伝わります。
江戸時代に入ると宿の数も増え、江戸を中心に多くの人々が訪れたそうです。
草津温泉のような酸性の温泉で荒れた肌を仕上げの湯と呼ばれる温泉で治癒するといったことも行われていたようで、四万温泉は「草津の上がり湯」としても人気がありました
四万温泉のみどころ
では、四万温泉の見どころについて見ていきましょう。
四万温泉協会
ガイドマップやパンフレットなどが置いてある観光協会。
窓からは四万川も見えるきれいな施設です。
「四万温泉歩き方ガイド・よってんべえ」というガイドマップは有料ですが、日帰り温泉やお食事などに利用できる割引券も付いており、購入するとお得に四万温泉の旅を楽しむことができます。
塩之湯飲泉所
観光協会のすぐ近くにある飲泉所。
源泉を飲むことができる場所で、名前の通り少し塩辛い味がします。
この源泉は飲むと胃腸に効能があると言われており、便秘の時には温かいお湯を、おなかを壊してしまった時には冷ましたお湯を飲むと良いとされています。
日向見薬師堂
先ほどご紹介した四万温泉の起源とされる2つの説のうち、後者の方に関連があるとされるお堂。
碓氷貞光が神託を受けた伝説に由来するお堂で、「湯前薬師」とも言われています。
病気平癒や健康祈願にご利益があるそうです。
茅葺屋根が特徴的な建物は室町時代後期に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
御夢想の湯
こちらも碓氷貞光の伝承と関連したスポット。
無料で入ることができるので、ぜひ立ち寄ってみてください。
積善館
四万川に架かる赤い橋がジブリ映画「千と千尋の神隠し」のモデルになったと言われている温泉旅館。
300年以上の歴史を持つ由緒ある旅館で、本館には歴史資料館もあります。
橋を渡れば映画のワンシーンのような幻想的な空間が広がり、まるで別世界に来てしまったかのよう。
大正時代に建てられた「元禄の湯」も有名で、国の登録有形文化財に登録されています。
「元禄の湯」は日帰りで利用することも可能です。
まとめ
四万温泉の歴史や見どころについてご紹介しました。
豊かな自然に囲まれ、ひと時日常の喧騒を忘れさせてくれる四万温泉。
温泉自体はもちろん、周辺の観光スポットも充実しているので、ぜひ温泉旅行に出かけてみてください。