1300年前に開かれた古都・奈良。
修学旅行などで訪れたことがあるという方も多いのではないでしょうか。
奈良観光の定番と言えば、東大寺の大仏がある奈良公園です。
園内には長い歴史を持つ寺社仏閣やそれらを研究する施設があります。
参道で思い思いに過ごしている鹿たちと触れ合えるのも奈良公園の魅力です。
本記事では、奈良公園にある寺社仏閣の歴史や見どころについてご紹介していきたいと思います。
総面積660ヘクタールの自然豊かな公園
広大な敷地を持つ奈良公園は、主に東大寺、興福寺、春日大社から構成されています。
歴史あるお寺や神社とそれを守り継ぐ人々の営みは1000年を優に超え、悠久の歴史の中で築かれたおおらかな文化を体感することができます。
また、奈良公園は若草山や春日山原生林を含む自然豊かな場所。
観光地化が進んでも、園内には緑が絶えることはありません。
自然を眺め、鹿と触れ合い、手を合わせれば、自然と穏やかな気持ちになれます。
奈良公園の整備
奈良公園が現在のような形に整備されたのは、実は明治時代のこと。
それまではそれぞれのお寺や神社が所領を持ち、運営を行っていました。
明治に入って日本の近代国家が進むと、太政官によって全国の名所・旧跡を公園とする通達が出され、これに基づいて華やかな天平文化が息づく奈良も公園化されたのです。
桜や松を植樹し、博物館を設置するなど市民の憩いの場が整えられ、道路なども整備されていきます。
時代の変動などにより公園の区域は多少変動しますが、文化財と自然はいつの時代も人々の手によって守られてきました。
「奈良のシカ」が天然記念物に指定されたり、奈良公園一帯が「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されるなど、現在に至るまでさまざまな保存・保全活動が続けられています。
以降は奈良公園を構成する代表的な寺社仏閣である、東大寺、興福寺、春日大社についてそれぞれ見ていきましょう。
東大寺
東大寺は、聖武天皇が皇太子の菩提を弔うために建立した「金鍾山寺」を前身とするお寺です。
天平文化を代表する奈良の大仏が鋳造されたのは8世紀半ばごろ。
大仏殿の造立や開眼供養に合わせて西塔、東塔、講堂が造られ、「東大寺」と呼ばれるようになりました。
奈良時代から平安時代にかけて仏教の各宗派の研究が栄えたことから、さまざまな宗派について学ぶことができる「八宗兼学」の学び場とされます。
東大寺は相次ぐ地震や戦乱によって何度か危機にさらされますが、そのたびに時の権力者の助けを得ながら、教えと宝物・仏像を守り、仏教学問を究める地として大いに発展しました。
古くから伝わる重要な遺産を多く所有していることから、現在では世界中の人々が訪れる日本を代表する観光スポットとなっています。
東大寺と言えば奈良の大仏。
現在の大仏殿は江戸時代に再建されたもので、天平の大仏殿よりはやや規模が小さくなっているものの、世界最大級の木造建築物です。
13世紀初期に造られた南大門も東大寺の名所で、その大きさと重ねた歴史の深さに思わず感嘆してしまいます。
興福寺
令和二年からは、大仏と並ぶ奈良のシンボルともいえる五重塔の修復に着手している興福寺。
五重塔の修復は明治以来118年ぶりなのだそう。
有識者、国、県などの協力のもと天平文化の再構築に取り組み、平成30年に修復が完了した中金堂をメインに、南円堂、東金堂など、国宝や重要文化財が建ち並びます。
白鳳期に藤原鎌足が釈迦三尊増を造立したことに由来するお寺で、「興福寺」と名付けたのは奈良時代に活躍した藤原不比等です。
奈良時代、平安時代と藤原氏や皇族によりさまざまな建物が造立されますが、火災などにより輿地最古の建物は鎌倉時代のものになっています。
教科書にも掲載されている阿修羅像は、1300年間人々の手に渡り、私たちの暮らしを見守ってきた仏像。
途方もない年月のように感じますが、その間人々の営みを見つめてきた仏像にはロマンを感じずにはいられません。
春日大社
古代から人の手が加わることを禁じられた原生林を持つ春日大社。
8世紀半ばごろ、称徳天皇の命で春日山(三笠山)の麓に造られました。
武甕槌命(たけみかづちのみこと)が現在の茨城県にある鹿島から鹿に乗って春日山に下りてきたことから、春日大社周辺の鹿は古くから神聖視され、貴族たちでさえ鹿と出会うと輿を降りてあいさつしたと言います。
長い間参拝客に親しまれてきた鹿たちは人懐っこいですが、実は飼育されているわけではありません。
もちろん春日大社や興福寺、奈良公園の関係者に保護されてきて現在に至りますが、ほかの鹿とは違った遺伝子を持つ貴重な野生動物です。
毎年、ホルンで鹿を呼び寄せる「鹿寄せ」や、発情期などの興奮状態の際に人に危害を加えてしまう恐れがあることから始まった「角切り」は奈良の風物詩となっています。