1200年の祈りの歴史―高野山金剛峰寺の歴史と見どころ

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1200年の祈りの歴史 高野山金剛峰寺の歴史と見どころ

空海によって開かれた日本仏教の聖地のひとつ・高野山金剛峰寺。

1000メートル級の山々に囲まれた自然豊かな境内は、1200年ものあいだ人々の信仰の拠り所となってきました。
「一山境内地」といって、高野山にある117のお寺すべてが総本山金剛峯寺を構成していると見なすのが一般的です。

本記事では、金剛峯寺というお寺を中心に、高野山全体の歴史や見どころを見ていきたいと思います。

空海によって開かれた真言密教の聖地

真言密教とは、平たく言えばこの世に起こるあらゆる事象について言語化できない部分まで真理を追究していくという仏教の一派です。
真言密教の教えは私たちには少し難しく感じてしまう部分も多いのですが仏教のなかでは実践的なもので、空海が高野山で開いた真言密教の教えは、やがて鎌倉新仏教をはじめとする日本仏教に深く影響を与えてゆくこととなります。

高野山金剛峰寺は多くの僧侶が修行に訪れ、悟りを開いた聖地です。
100以上あるお寺のなかでもやはり金剛峯寺は特別な位置付けになります。

ここでは、金剛峯寺を中心に高野山全体の魅力について知っていただければと思います。

空海が高野山金剛峰寺を開くまで

空海は唐で2年の修業を終えたのち、帰国して真言密教の教えを日本で広めようと志します。

「教えを広めるのに良い場所を示してくれ」と念じて手に持っていた三鈷(さんこ)と呼ばれる仏具を投げました。
さてどこに落ちただろうと三鈷を探しに行くと、大和の宇智郡のあたりで2匹の犬を連れた猟師に出会います。

空海がその犬についていくと山の主と名乗る女性に遭遇し、山を案内されます。
言われたとおりに進むと、現在の壇上伽藍があるあたりに三鈷がかかっており、空海はそこにお堂を建てることにしました。
これが高野山金剛峰寺のはじまりです。

このとき空海を導いたのは丹生都比売神社の神様。
高野山を訪れる際には、ぜひ丹生都比売神社にもお参りしてみてください。

東寺と金剛峯寺

嵯峨天皇の勅許を得て高野山金剛峰寺を開いた空海は、庶民のための学校である綜芸種智院を開くなど、人々に広く教えを授けるために尽力します。
その功績が認められ、嵯峨天皇から都に与えられたのが東寺(教王護国寺)です。

皇族の支援を受けながら真言密教のもうひとつの聖地として栄えた東寺は、10世紀になると本末制度の確立により東寺を本寺、金剛峯寺を末寺とする制度が出来上がります。

高野山は落雷などで建物を焼失し、次第に衰退していってしまいます。
そんな金剛峯寺に転機が訪れるのは11世紀のこと。
藤原道長という皇族や有力貴族たちに対して影響力の大きい人物が高野山を参詣したことにより各所からの支援を得ることが叶い、金剛峯寺は復興し、財政的にも安定します。

以降、東寺と高野山金剛峰寺はともに真言密教の聖地として人々の信仰の拠り所であり続けています。

武将たちと高野山

高野山の東の端には、奥之院と呼ばれるところがあります。
空海が入定したとされる場所で、金剛峯寺の壇上伽藍と並ぶ高野山の信仰の中心です。
真言宗では今も空海が弘法大師廟で深い禅定に入っていると言われており、維那(いな)と呼ばれる僧侶が食事を届けています。

参道には織田信長をはじめ、著名な武将の墓がずらりと並びます。
魔王も天下人もやはり最後は神仏に救いを求めるのだろうかと少し感慨深くなりますね。

「般若心経」と呼ばれるお経のなかには、釈迦の入滅から56億7000万年後(5億7600万年後という説もあります)に釈迦の弟子である弥勒菩薩が再来し、人々を救うという記述があります。
弥勒菩薩が訪れる地の候補のひとつが高野山であり、いつしか人々は「高野山に埋葬されれば空海が極楽浄土に連れて行ってくださる」というような信仰を持つようになったそうです。

戦国時代に入り高野山に寄進された貴族の荘園が武士たちによって荒らされたことも原因のひとつ。
どうにか財源を確保しようとした寺院側は、武士たちに寄進してもらおうと教えを広めたとも考えられます。

生前ではほとんど関わりのない武将たちの墓が隣り合っていることもあり、何とも言えない奇縁を感じます。

高野山金剛峰寺の見どころ

では最後に、金剛峯寺の見どころをいくつかご紹介したいと思います。

大門

高野山全体の総門でもある大門。
現在のものは18世紀初頭に再建されたもので、朱色で塗られた外観と左右にそびえる金剛力士像が印象的です。

壇上伽藍

高野山の二大聖地のひとつである壇上伽藍。
シンボルともいえる根本大塔や、空海が最初に造ったとされる金堂など、高野山観光においてまず外せないスポットです。

三鈷の松

先ほどお話した高野山開山にまつわる三鈷の松。
空海が投げた三鈷が引っ掛かったとされる松の木が今も残されており、その松の葉を持ち帰ってお守りにする参詣者もいます。

奥之院

空海が入定した御廟がある奥之院。
もうひとつの高野山の二大聖地で、厳かな雰囲気が漂うエリアです。

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