「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損々」のフレーズで有名な徳島県の阿波おどり。
お盆の時期になると県内各地で阿波おどり関連のイベントが開催されます。
特に毎年8月12日から8月15日に開催される徳島市の阿波おどりは大きな盛り上がりを見せ、県の総人口を上回る100万人もの観光客が訪れます。
陽気なテンポと迫力と品を兼ね備えた阿波おどりは、国内だけでなく海外からも高い評価を得ている、日本が世界に誇る伝統芸能です。
本記事では、阿波おどりの歴史や魅力についてご紹介していきたいと思います。
400年もの歴史を持つ日本を代表する伝統芸能
徳島県を代表する伝統芸能である阿波おどり。
全国的にもよく知られており、県外でも各地でアレンジして阿波おどりを開催しているところがあるくらいです。
江戸時代にはその熱狂的なさまから一揆の引き金になると禁止令が出されたことや、庶民に混じって踊った藩の重臣である蜂須賀一角が厳しい処分を受けたことがあったそうです。
それでも根強い人気があり、周辺のさまざまな地域の踊りの要素を取り入れてどんどん進化していきました。
1941年には「阿波の踊子」という映画が発表され、徳島県を舞台に地元の踊子たちも大勢エキストラに加わって大規模なロケが行われましたが、第二次世界大戦中は不謹慎だとして禁止されてしまいます。
戦後の絶望的な状況のなかでも人々に寄り添ったのは阿波おどりでした。
焼け跡の中から人々が躍り出てきたこともあったそうです。
たびたび禁止令が出されてきた阿波おどりですが、今日まで約400年もの間、庶民のあいだで大切に受け継がれてきたのです。
阿波おどりの種類
阿波おどりには、女踊りと男踊りがあります。
浴衣を着て編み笠を被った女性たちが踊る女踊りは、上品でしなやかな仕草が特徴。
法被(はっぴ)に足袋を履いた姿の男性たちが踊る男踊りは、ダイナミックで力強い動きが特徴です。
男踊り、女踊りの区別以外にも、阿波おどりにはいくつかの種類があります。
ここでは、代表的な3つの流派について見ていきたいと思います。
のんき調
徳島県の連の中でもかなり古い部類に入る「のんき連」から誕生した流派。
「連」とは、阿波おどりにおける踊りのグループのこと。
阿波おどり全体においては踊りに特に決まりはありませんが、連ごとに振り付けなどが決まっていることが多いです。
朗らかで比較的自由な印象があり、最も親しみやすい踊りであると言われています。
娯茶平調
娯茶平調(ごちゃへいちょう)は、徳島県の中でも最大規模の連である「娯茶平連」から生まれた流派。
ゆったりとしたテンポに合わせて踊るのが特徴で、男踊りは腰を低く落として地を這うような振り付けになっています。
阿呆調
東京の「江戸っ子連」の姉妹連である「阿保連」から生まれた流派。
跳ねるように豪快に踊るさまは「暴れ踊り」とも呼ばれ、提灯を器用にさばきながら踊るのが印象的です。
阿波おどりの起源
長い歴史を持ち、さまざまな流派を抱えるほど規模の大きい阿波おどり。
その起源には主に3つの説があります。
徳島城築城起源説
徳島藩の藩祖である蜂須賀家正が徳島城を築城したのは、天正15年(1587年)のこと。
築城を記念した祝賀行事の際に城下の人々が躍ったのが阿波おどりのはじまりだとする説です。
「よしこの」という阿波おどりのお囃子の唄には「阿波の殿様蜂須賀様が 今に残せし阿波おどり」というフレーズもあります。
風流踊り起源説
かつて近畿から阿波に逃れてきた戦国武将である十河存保が勝瑞城で開催した風流踊りが阿波おどりの起源であるとする説です。
「風流踊り」とは能楽のもとにもなった踊りで、全国各地でさまざまな踊りが受け継がれています。
盆踊り起源説
旧暦の7月に行われていた盆踊りが、阿波おどりの起源であるとする説です。
「阿波おどり」の名称が定着したのは昭和初期ごろであると言われており、それまでは「阿波盆踊り」と呼ばれていました。
阿波おどりの魅力
ではさいごに、阿波おどりの魅力や観光情報をお伝えしていきたいと思います。
阿波おどりの魅力は、何と言ってもその熱狂を肌で感じられることです。
公園だけでなく道路にも設置されている「演舞場」と呼ばれる会場がたくさんあり、プロの団体から学生の団体まで、衣装を身につけた連がそこかしこで踊っています。
演舞場には有料のところと無料のところがありますが、プロの連が躍る有料の演舞場は見ごたえ十分。
毎年芸能人がゲスト出演する演舞場もあります。
さまざまな連が自由に踊り出す新町橋は、阿波おどりをより間近で見ることができますし、飛び入りで一緒に踊って楽しめるのでおすすめです。
毎年多くの観光客が訪れる阿波おどりのシーズンは、ホテルや交通手段の手配も非常に困難になってきます。
早い時期から計画を立てて、徳島で素敵な夏の思い出を作りましょう!