紀州徳川家の居城―和歌山城の歴史と見どころ

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紀州徳川家の居城 和歌山城の歴史と見どころ

白亜の三層天守がそびえたつ和歌山城。
和歌山市街地を見下ろす堂々とした姿は、まちのシンボルになっています。

天守閣は昭和に入ってから復元された鉄筋コンクリート造のものですが、江戸時代の図面をもとに復元された「御橋廊下」や、徳川時代の建造物がそのまま残る「岡口門」など、見どころがたくさんある城です。

本記事では、和歌山城の歴史を紐解きながら、その魅力に迫っていきたいと思います。

虎伏山にそびえる和歌山のシンボル

虎伏山の頂上にあり、和歌山のまちを見下ろすように建っている和歌山城。
代表的な連立式平山城の構造をしており、下から見上げた姿も美しい城です。

築城の名手・藤堂高虎が築城に携わった堅牢なお城で、8代将軍・徳川吉宗や14代将軍・家茂を輩出した御三家・紀州徳川家の居城でもありました。

城郭の構造ももちろん素晴らしいのですが、天守閣から望む景色も絶景です。
西側からは瀬戸内海を望むことができ、天気が良ければ四国や淡路島も見えます。

和歌山市内観光の定番である和歌山城は、その歴史や見どころを少し予習しておけば実際の観光が何倍も楽しくなるはず。
ここでは、観光に役立つ和歌山城の歴史や見どころをなるべく分かりやすく解説していきたいと思います。

藤堂高虎と豊臣秀長が築いた天下の名城

和歌山城が築城されたのは天正13年(1585)のこと。
紀州を平定した秀吉は、弟の秀長に命じて、紀ノ川沿いの虎伏山に城を築かせました。

この際、築城の名手・藤堂高虎も携わっており、秀吉がいかにこの地を戦略的に重要視していたかがわかります。
紀ノ川河口にある紀湊(きのみなと)は当時紀の国を治める上でキーポイントとなる場所であったので、そこを掌握するという意図もあったのではないでしょうか。

当時このあたりは「和歌山」という地名ではなかったのですが、近くの景勝地、和歌浦(わかのうら)にちなんで「和歌山城」と名付けられました。
城代には秀長の家臣・桑山重晴が入ります。

浅野長吉と和歌山城

秀長が亡くなり、秀吉も亡くなると、間もなく天下分け目の関ヶ原の戦いが勃発。
勝利を収めた東軍は、徳川家康を征夷大将軍として江戸幕府を開きました。

このタイミングで和歌山城に入城したのが37万6千石を与えられた浅野幸長。
現在の復元天守のモデルになっている連立式天守閣や、本丸、二ノ丸、西ノ丸の築城・整備は浅野氏が行います。

大手門を移動させて本町通りを中心に城下町を整備するなど、現在の和歌山城、そして和歌山のまちの礎を築きました。

御三家・紀州徳川家の城へ

元和5年(1619)には、家康の十男に当たる頼宣が55万5千石で入城します。
彼の血筋は明治時代まで存続し、やがて徳川御三家として幕政のなかで重きを置いていく存在になります。

浅野氏時代の山頂の御殿が手狭になると、頼宣は堀の一部を埋めて二ノ丸を造営し、新たな御殿を築きました。
能舞台などを設けた西の丸と二ノ丸を廊下橋で繋ぎ、和歌山城は御三家に相応しい広大な規模を有するお城になっていきます。
なお、二ノ丸の大広間は明治時代に入ってから大阪城に移築されますが、火災で焼失してしまっています。

秀吉が紀州を平定するまでは雑賀衆という鉄砲武装集団の拠点でもあった和歌山城は、雑賀衆時代、秀長時代、浅野時代、徳川時代と、幅広い時代に渡って築城・改修が行われた城であり、石垣にその特徴がよく表れています。

石の種類から積み方まで、さまざまな種類や技巧を見て取ることができる和歌山城。
観光の際はぜひ石垣にも注目して遺構を見てまわってみてください。

近代以降の和歌山城

天守閣は幕末に焼失してしまったものの、すぐに同等のものが再建され昭和まで残り続け、和歌山のまちを見守っていました。
ところが、太平洋戦争中の和歌山大空襲によって天守閣をはじめ多くの建物が焼失してしまいます。

市民の願いもあって、1958(昭和33)に天守閣は鉄筋コンクリート造で再建されました。
その後、庭園をはじめとする城内の各施設が整備され、大手門や御橋廊下が再建されて今に至ります。

和歌山城の見どころ

さいごに、和歌山城の見どころを簡単にご紹介したいと思います。

天守閣

戦後、鉄筋コンクリートで再建された天守閣。
残された資料を基に、外観はかなり忠実に再現されています。
中は博物館になっており、紀州徳川家や和歌山城に関連した史料やゆかりの品々が展示されています。

岡口門

徳川時代の遺構がほとんどそのまま残る非常に貴重な搦め手門。
国の重要文化財にも指定されています。

西の丸庭園

山の斜面を利用した豪快な造りの大名庭園。
通説では徳川氏が作らせたものとされていますが、浅野氏が造園したとの説もあります。

御橋廊下

西ノ丸と二ノ丸を繋ぐ廊下橋。
江戸時代の図面をもとに平成に入ってから復元されました。
斜めにかかる珍しい構造をしており、滑らないように廊下の床板を鋸歯状に組んでいるのが特徴的です。

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