宇和島伊達家のシンボル!藤堂高虎の名城・宇和島城の歴史と見どころ

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宇和島伊達家のシンボル 藤堂高虎の名城・宇和島城の歴史と見どころ

9代にわたって宇和島の地を治めた宇和島伊達家。
かの伊達政宗の長子の家系で、大坂冬の陣での武功が認められて宇和群10万石を拝領して宇和島城に入城し、現存する天守を築きました。

伊達家よりも前に宇和島を治めていた藤堂高虎が城郭の土台を作っている堅牢なお城で、城郭構造の随所にさまざまな工夫が見られます。
また、伊達氏が築いた建物は、大坂の陣後の平和な時代にふさわしく芸術的な装飾が施された見応えのあるもの。
お城に詳しい方も、そうでない方も楽しく見学できるお城です。

本記事では、宇和島城の歴史と見どころをご紹介していきたいと思います。

藤堂高虎と宇和島城

宇和島城の前身は警固使・橘遠保(たちばなのとおやす)が築いた砦であると言われており、「板島丸串城(いたじままるくしじょう)」と呼ばれていたこともありました。

この地に近世城郭を築いたのは、後に築城の名手として知られる藤堂高虎。
賤ケ岳の戦いでの武功が認められた高虎は、大名になって初めての自分の城を築城します。

すでに近畿地方にいくつか城を築いていた高虎ですが、初めての自らの城の築城にはより一層意気込んだのではないでしょうか。
中世の要素と近世の要素を盛り込んだ宇和島城は、平城でありながら海に面した地形をうまく利用することでその防御上の弱点をうまく補った巧みなものでした。

藤堂高虎が関ヶ原の戦いなどの功績でさらに加増されて転封されると、入れ替わるようにして富田信高が宇和島城に入城。
しかし、信孝は数年で身内の騒動に巻き込まれ改易。
宇和島城には伊達秀宗が入ります。

伊達氏と宇和島城

宇和島城に入城した伊達秀宗は、その名からもわかる通り東北の雄・伊達政宗の子。
長子でしたが、庶子であったため豊臣秀吉や宇喜多秀家らに人質として預けられていました。

父・政宗の正室に男児が生まれたため秀宗は本家を継ぐことが出来ず、宇和島群を治める大名として独立します。
秀宗は家臣との騒動などで仙台の伊達本家とはあまり折り合いが良くなかったようですが、藩政の基礎を築き、善政を敷きました。

現存する天守を築城したのは、秀宗の息子である宗利。
以降、宇和島伊達家は、幕末まで宇和島の地を治めます。

宇和島城の見どころ

ではさいごに、宇和島城の見どころをご紹介していきたいと思います。

天守

貴重な現存天守のひとつである宇和島城天守。
3重3層の層塔型天守で、現存するものは伊達氏が築いたものです。

宇和島城天守の特徴のひとつとして、軍事設備が少ないということが挙げられます。

お城の壁についている三角や四角の「狭間」は、そこから鉄砲などで狙いを定めて攻めてきた敵を退けるための防御設備。
もともと籠城の際に立てこもるための施設である天守には「狭間」が付いていることが多いのですが、宇和島城にはこれがありません。
江戸時代に造られたお城らしい天下泰平を象徴するような造りです。

その代わり、外部や内部に美しい装飾が施されています。
内部の階段の手すりには美術的装飾がなされており、天守の入り口にある門には、美しい唐破風の屋根が付いています。
現存天守には珍しい芸術的鑑賞ができるお城なので、あまりお城に詳しくないという方でも、素直に感動して楽しむことができるかと思います。

藩老桑折氏武家長屋門(はんろうこおりしぶけながやもん)

宇和島藩士である桑折氏の長屋門として実際に使用されていた門を移築したもの。
太平洋戦争の戦火も免れたのですが、道路拡張のため左側半分を切り取る形で今の場所に移築されました。
現在は登城口になっています。

上り立ち門

天守以外で唯一完全に当時のままの姿で現存する建造物です。
藤堂高虎の時代からある門なのではないかと考えられている貴重なもので、お城の裏口として使われていました。
登城の際にこちらの門から入るとやや急な石垣を登るルートになるので注意してください。

余談ですが、この門の前に建っている銅像は宇和島藩出身の児島惟謙です。
明治時代にロシアとの間で国際問題になった「大津事件」で日本の司法権の独立を守った人物として知られています。

井戸丸

籠城戦の際に重要になってくるのが水の確保。
城内の井戸の数や位置は非常時において大変重要なポイントになってきます。

本丸の北側に位置する井戸は、それそのものがひとつの曲輪になってしまうほど高く位置付けられたもの。
五角形の城郭や高石垣など、藤堂高虎の代名詞ともいえるような城郭構造が数多く盛り込まれた宇和島城ですが、そのなかでもこの井戸丸は彼のこだわりが詰まったところと言えるのではないでしょうか。

城山郷土館(旧山里倉庫)

三ノ丸があったあたりに作られた郷土資料館。
もともとは武器庫として使われていました。
昭和の時代には民俗資料館として機能していましたが、2015年のリニューアルを機に郷土の偉人についての展示がなされています。

伊達博物館

宇和島城を出てすぐの場所にある博物館。
伊達家の屋敷跡に建てられており、藩主ゆかりの品々が収蔵されています。
「豊臣秀吉画像」など、貴重な文化財が展示されているので、お城を堪能した後にぜひ訪れてみてください。

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