日本三大水城のひとつ!中津城の歴史と見どころ

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日本三大水城のひとつ 中津城の歴史と見どころ

大分県の中津市のシンボルとなっている中津城。
海の利便性や防衛上の利点などをうまく活用したお城で、今治城や高松城などと並んで日本三大水城のひとつに数えられています。

中津観光のスポットのひとつとしてはもちろん、残された石垣や城下のお寺などは、お城や歴史が好きな人も見ごたえ抜群です。

本記事では、中津城の歴史や見どころについてご紹介していきたいと思います。

黒田氏・細川氏と中津城

中津城を築いたのは時の天下人であった秀吉に仕えていた黒田氏です。

当時の情勢の中心であった大阪の情報を、船を活用していち早くつかめるようにと今の位置に築城を開始します。
地形と海運をうまく活用した梯郭式平城で、城下町ごと堀で囲んだ総構えと呼ばれる構造をとっていました。
総構えの外側には寺を多く配置することで、さらに守りを固めています。

中津城築城中に関ヶ原の戦いが起こり、東軍に与した黒田氏は大幅に加増されて福岡へ移ります。

築城を引き継いだのは細川氏。
お城の完成と城下町の整備は細川氏の時代にほぼ完了したと考えられています。

細川氏が改易された加藤氏が治めていた熊本に転封されると、中津城は小笠原氏を経て譜代の奥平氏の手に渡ります。

奥平氏と中津城

譜代(主に関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えていた家を指します)の奥平氏は、家康の血筋を引く由緒正しい家柄です。
奥平氏は丹後宮津から1万石加増されて中津に入り、以降幕末まで奥平氏が中津の地を治めました。
特に蘭学を推奨した11代当主・昌高は今も地元の人々に敬われているようです。

中津藩出身で学問に精通している人物と言えば福沢諭吉。
中津藩士であった諭吉は、やがて近代を代表する思想家となり、名門・慶應義塾大学の礎を築きます。
中津藩は諭吉以外にも優秀な人物を数多く輩出しました。

明治時代に入り、ほかの多くの城と同様に、廃藩置県や廃城令とともに御殿以外の建物を失った中津城。
西南戦争で西郷隆盛に呼応した中津隊によって、その御殿も戦火で焼失してしまいました。

地元の人々の願いや奥平家の子孫の協力もあって、戦後に天守が再建され、今に至ります。

中津城の見どころ

ではさいごに、中津城や周辺の見どころをいくつかご紹介していきたいと思います。

天守

実は、中津城に天守があったかどうかははっきりとしていません。
絵図や縄張り図によって描かれている史料と描かれていない史料があり、その確固たる存在は確認できませんが、当時中津城を居城としていた黒田如水の手紙の中に天守について触れられた記述はあるそうです。

現在の天守は山口県の萩城を参考にして昭和に再建されたもので、中は郷土史や奥平氏に関する展示を行う博物館になっています。

黒田氏・細川氏の石垣

天守の北側にある石垣は、黒田氏が築いた石垣と細川氏が築いた石垣が斜めの線ではっきりと分かれているのが見て取れる面白いスポット。
向かって右側の長方形に石が加工されている方が黒田氏のもの、左側の野面積みのものが細川氏のものです。

石垣に詳しい方は「時代が逆転しているのでは?」と思ってしまうかもしれません。
戦国時代は細川氏の石垣のように自然石をうまく組み合わせて積んだ野面積みが主流であったのですが、黒田氏は古代に築城された唐原山城の石垣の石を転用したために長方形に加工された石を使っています。
石の一辺がL字型にカットされていることから、唐原山城のものであることがわかったそうです。

合元寺

黒田氏が地元豪族の鎮圧の際に、最後まで抵抗した前領主・宇都宮鎮房を暗殺した際、その家臣らが拠点にして奮戦したお寺。
柱には激しい切り合いを示すように刀傷が刻み込まれ、壁は何度白く塗り替えても血の赤に染まったそうです。

宇都宮鎮房とその家臣たちは、城井神社と扇城神社にそれぞれ祀られています。

国史跡福澤諭吉旧居

近代の思想家・福沢諭吉の故郷である中津。
大阪の中津藩邸で生まれた諭吉は父親の急死により、母や兄弟たちとともに中津に帰り、少年期から青年期にかけて中津で過ごします。

現存するこの家は最初に引っ越した父の家から移り住んできたところで、国指定史跡になっています。

大江医家資料館・村上医家資料館

中津藩主の御典医であった大江家の旧家を資料館にした大江医家資料館。

「解体新書」や「重訂解体新書」などの貴重な資料、薬草園、幕末から近代にかけての名医たちに関する展示などを見ることができます。
17世紀から現在にかけて続く医家・村上氏に関する資料を集めた村上医家資料館も見ごたえがあります。

大法寺

忠臣蔵の大石内蔵助が寄進した灯篭があるお寺。
中津を治めた小笠原家は、内蔵助が仕えた赤穂藩の浅井氏と縁戚であったようです。

自性寺

雪舟や尾形光琳などと主に日本を代表する画家である池大雅の書画を47点常設展示しているお寺。
「大雅堂」とも呼ばれています。

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