本丸全体の建物が現存する美しい「鷹城」―高知城の歴史と見どころ

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本丸全体の建物が現存する美しい「鷹城」 高知城の歴史と見どころ

天守、本丸御殿など、主だった本丸の建物が現存する全国でも貴重な高知城。
梯郭式平山城で、「鷹城」の異名を持つ美しい高知市のシンボルです。

山内一豊が築いた高知城は、その堅牢さや構造の珍しさから、かなり見ごたえのあるお城になっています。
お城に詳しい方はもちろん、あまりお城について詳しくないという方も楽しく見て廻れる県内屈指の観光スポットです。

本記事では、高知城の歴史と見どころについてご紹介していきたいと思います。

天守も本丸御殿も現存する唯一のお城

日本に12しかない現存天守のひとつで、国の重要文化財に指定された天守を持つ高知城。
天守に隣接する本丸御殿など、重要文化財を15棟保有しています。
江戸時代に建てられた本丸の建物がこれほど現存しているのは非常に珍しく、それだけでも大変見ごたえのあるお城です。

また、高知城は構造においても珍しい点を多く持つ城。
お城に詳しいという方も初めて見るであろうものもたくさんあると思います。

ここでは、高知城の歴史や見どころをご紹介しながら、その魅力に迫っていきたいと思います。

大高坂城と長曾我部氏

高知城の前身は大高坂城と呼ばれる南北朝時代に築かれたお城。
土佐の豪族である大高坂氏が築城したと言われていますが、定かではありません。

四国で勢力を拡大していった戦国大名と言えば長曾我部元親です。

九州攻めに参加したのち、元親は拠点を一時的に大高坂城に移します。
しかし、大高坂城は洪水が多いうえに、水軍に力を入れようとした元親はすぐに浦戸城へ居を移し、そこを拠点とするようになりました。

関ヶ原の戦いで西軍に付いた長曾我部氏が改易処分を受けると、土佐へは山内一豊が入ります。

山内一豊の土佐入り

土佐入りを果たした山内一豊ですが、地元で支持を得ていた長曾我部氏の旧臣たちの激しい反乱もあり、浦戸城での統治は難しいものと考えます。

そこで一豊が注目したのが大高坂城です。
一豊は築城と治水に優れた百々安行(どどやすゆき)を呼び寄せ、大高坂城を立派な近代城郭に改修。
天守は彼がかつて治めていた遠江(現在の静岡県)の掛川城を模した造りにさせます。

土佐はそれ以降、明治維新まで山内氏が治め、山内容堂や坂本龍馬などの優れた人物を世に輩出しました。

高知城再建

慶長8年(1603年)には主だった建物が完成し、地名も川に挟まれた地形から「河内」と改め、のちに「高智」とした高知城でしたが、享保12年(1727年)の大火でほとんどの建物を焼失してしまいます。

すぐに再建が執り行われ、寛延2年(1749年)には天守の再建が完了しました。
このときの天守が現存するものです。

高知城は廃城令や太平洋戦争も乗り越え、現在まで人々の手で大切に守り継がれています。

高知城の見どころ

ではさいごに、高知城の見どころをいくつかピックアップしてご紹介していきたいと思います。

天守

まずはお城のシンボルともいえる天守から。

12しか現存しない現存天守のひとつで、国の重要文化財に指定された天守。
独立式望楼型という形式をとっており、3層6階建てです。

藩祖・山内一豊のかつての居城である掛川城を模して造られたと言われており、廻縁高欄が取り入れられています。

「鷹城」の異名も持つ美しいお城で、天守4階部分から見える青銅製のシャチホコも必見です。

本丸御殿(懐徳館)

高知城は天守と本丸御殿の両方が現存する極めて貴重なお城。

天守と本丸が一体となっている造りも大変珍しく、天守と同様に普段は城主が起居することはなく、客人をもてなすための建物でした。
城主は二ノ丸御殿で生活していたようです。

土佐の荒波を表現した「打ち分け波の欄間」など優れた装飾も見られる書院造の御殿ですが、護衛の武士を潜ませるためのスペースである「武者隠し」が設けられており、江戸時代に建てられたにしては実用的で有事を想定した造りになっています。

詰門

「橋廊下」とも呼ばれていた「詰門」。
本丸と二ノ丸の間にある空堀の仕切りとなっている櫓門で、上部は廊下橋(渡り廊下)となっているかなり珍しい構造です。
空堀の高低差は約4メートルもあり、門の前は枡形を取っていることから、本丸への侵入を防ぐ防御の要であったことが伺えます。

追手門

追手門と天守が両方現存するお城もあまりありません。
追手門の少し手前からカメラを構えるとちょうど天守と門を画角に納めることができます。
その角度から見える景色は江戸時代から変わっていないのだと思うと感慨深いですね。

この追手門から東に続く道では、高知観光では外せない「日曜市」が開催されています。

鉄門跡

三ノ丸の入り口にかつてあった、扉に鉄板が打ちつけられた堅牢な門の跡。
打ち込みはぎの急峻な石垣が残っており、門のスケールと鉄壁の守りが感じられます。

石垣

湿地に建てられた高知城は石垣にも工夫が凝らされています。

高知城の石垣のほとんどは自然石を組み合わせた「野面積み」という工法になっていて、排水のための石樋が設けられているなど、水対策が充実。
「野面積み」はより強固な石垣を詰むことができる工法として知られていますが、実は排水にも優れており、高知城では積極的に用いられています。

高知城歴史博物館

お城の見学が終わったら、ぜひ入り口のすぐそばにある博物館にも立ち寄ってみてください。
山内家ゆかりの品を中心に、貴重な文化財が多数収蔵されています。

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