武田信玄と並び称される人気の戦国武将・上杉謙信。
彼が拠点としたのが、越後の春日山城です。
残念ながら建物は残っていませんが、堀や土塁、井戸などの遺構が残っており、自然の地形を生かした守りの堅いお城であったことがうかがえます。
山の中腹にある、大河ドラマ放映を記念して建てられた上杉謙信の銅像も有名です。
本記事では、春日山城跡を観光する前に知っておきたい、春日山城の歴史や遺構の見どころなどをご紹介していきたいと思います。
上杉謙信の居城・春日山城
上杉謙信の居城として知られる春日山城は、現在の新潟県上越市にあります。
山城なのでかなり山を登っていかなければなりませんが、その分在りし日の城の守りの堅さを感じることができ、城郭が好きな人や、上杉謙信のファンにはたまらない観光スポットです。
また、本丸は標高180メートルほどの場所にあり、日本海、頸城平野、それを取り巻く山々などを一望することができます。
城郭の堅牢さを感じられるだけでなく、山道を歩いて登り、景色を眺めると心がすっきりと洗われるような気持ちになるので、ハイキングが好きな人にもおすすめです。
ここでは、春日山城の歴史や遺構の見どころに触れながら、その魅力に迫っていきたいと思います。
春日山城のはじまり
春日山城は、南北朝時代の越後国の守護・上杉氏が築城したと言われています。
春日山の名前の由来は春日神社です。
奈良の春日大社の分社のなかでも最も古い神社で、築城の際に現在の場所に移築されることになりました。
戦国時代に入ると、各地で下剋上の機運が高まり、越後の守護・上杉氏も、ひとつ下のポジションである守護代を代々務めてきた長尾氏と対立を深めていき、守護を追放され、一戦交えたのちに春日山城を取られてしまいます。
このとき春日山城を攻め取ったと言われているのが、上杉謙信(長尾景虎)の父である長尾為影です。
上杉謙信の活躍
為影亡き後は謙信の兄・晴影が跡を継ぎますが、なかなか家臣をまとめ上げられずにいました。
家臣のひとりが謀反を起こした際、兄に代わってまだ10代であった謙信が討伐したことから、徐々に謙信が家を継ぐべきであったのではないかという声が上がりはじめます。
内紛を避けようとした晴影は家督を謙信に譲ります。
謙信は越後統一に向けて動き出し、さらに匿っていた関東管領・上杉憲政の要請を受けて関東の北条氏にも攻め入ります。
ちなみに、上杉謙信の上杉姓は越後の守護の上杉氏ではなく、この憲政の養子に入り、関東管領の職を継いだことで得たものです。
このタイミングで「長尾景虎」から「上杉謙信」に改名したようですが、この記事では便宜上、上杉謙信で通しました。
御館の乱と春日山城の終わり
上杉謙信は「軍神」と呼ばれるほどの戦上手で、彼の居城である春日山城に攻め入ろうとする者はいませんでしたが謙信の死後、状況が大きく変わります。
上杉謙信は生涯妻をめとらず、自身の子どももいなかったことは有名ですが、養子が3人いました。
そのうち有名なのは、血の繋がった甥である景勝と、北条氏からの人質のような形ではあるものの謙信から自らの名を与えられるほど目をかけられていた景虎です。
先に春日山城を占拠し、金蔵を抑えたのは景勝でしたが、景虎も憲政の御館に立てこもるなど、一進一退の攻防を繰り広げます。
世に言う「御館(おたて)の乱」です。
景虎は御館に攻め込んできた景勝に耐え切れず逃走しますが、逃走先の城で、その城主に殺され、結果的に景勝が家督を継ぐこととなりました。
景勝は織田信長に責められている最中、本能寺の変が起きたことで難を逃れますが、晩年の豊臣秀吉に国替えを命じられます。
景勝の後には堀氏が春日山城に入りますが、堅牢ではありますが交通の便が良くない春日山城は用済みとされ、福島城を築城。
春日山城は廃城になってしまいました。
春日山城の見どころ
ではさいごに、春日山城の見どころについてご紹介していきたいと思います。
春日山神社・上杉謙信の銅像
春日山をコース通りに上っていくと、中腹に差し掛かるあたりで春日山神社が見えてきます。
春日山神社は上杉謙信を祀る神社で、境内の記念館では謙信にまつわる資料などが展示されているほか、南の高台には上杉謙信の銅像が立っており、城下を見守っているかのようになっています。
空堀
春日山を登っていくと、建物は残っていないものの空堀などの城郭の名残のようなものは残っており、お城の堅牢さを感じることができます。
地図を見ながら登っていくと、お城の構造と今いる場所の位置関係がわかるのでさらに楽しめますよ。
直江屋敷跡
大河ドラマの主人公にもなった上杉景勝の腹心・直江兼続を輩出した(兼続は養子ですが)直江家の屋敷跡の石碑も見ることができます。
三ノ丸には、景勝と跡目争いを繰り広げた景虎の屋敷跡もあります。
毘沙門堂
上杉謙信が篤く信仰していたと言われる毘沙門天。
この毘沙門堂は昭和に入ってから再建されたものですが、中には毘沙門天の像が安置されています。
本丸跡
本丸や天守閣があったとされる場所には現在は石碑が建っているばかりですが、日本海や上越市が望めます。
裏手にある井戸は、400年経った今も水が湧き出している稀有な井戸です。