九州の覇者・島津氏の居城!鹿児島城(鶴丸城)の歴史と周辺観光スポット

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九州の覇者・島津氏の居城 鹿児島城(鶴丸城)の歴史と周辺観光スポット

九州の覇者・島津氏が江戸時代に藩政の拠点とした鹿児島城。
天守や背の高い物見櫓、高石垣などの防衛施設があまりない珍しい造りで、本丸・二の丸の脆弱さを裏手の山に控える詰城が補っています。

市街地からのアクセスも良い定番観光スポットで、周辺の観光名所へもスムーズに移動することが可能です。

本記事では、鹿児島城の歴史や周辺の定番観光スポットについてご紹介していきたいと思います。

「鶴丸城」の名前で親しまれる鹿児島のシンボル

お城の地形が敦賀羽を広げたような形に見えたため「鶴丸城」の名で地元の人々に親しまれてきた鹿児島城。
2020年に御楼門が復元されるなど、観光地としての整備も進んでいます。

薩英戦争や西南戦争の舞台にもなった歴史好きにはたまらない場所です。

桜や蓮の名所としても知られており、シーズンになると美しい花々を愛でることができます。

ここでは、鹿児島城や薩摩藩を治めた島津氏の歴史を簡単にご紹介しつつ、城跡の見どころや周辺の観光スポットをご紹介していきたいと思います。

島津氏のはじまり

鎌倉時代ごろから地頭や守護を歴任し、九州を治めてきた島津氏は、戦国時代ごろには薩摩を中心に九州の覇者となっていました。

豊臣政権下に下った後も朝鮮出兵などで順調に武功を積み、全国有数の大大名になりますが、関ヶ原の戦いで西軍に味方したことで一気にその立場が危うくなります。
「島津の退き口」と呼ばれる壮絶な死線を潜り抜け、根気強く徳川方と交渉を続けた結果、本領を安堵されました。

それでもやはり幕府からの警戒を恐れてか、新たに本拠地として築いた鹿児島城には天守などの目立つ建造物はありません。

島津氏と鹿児島城

鹿児島城の防衛機能が手薄であるため、島津氏は領内に113もの山城を残し、そこへ家臣たちを常駐させて非常時に備えていました。
武士たちが暮らした防衛拠点を「麓」あるいは「外城」と呼び、これらの武家屋敷跡は今も県内各地に残されています。

常に幕府から警戒されているという意識を持っていた島津家は、武力保持や藩内の武士たちへの教育にも他藩に比べて力を入れていました。

薩英戦争・西南戦争と鹿児島城

鹿児島城が初めて経験した実戦は薩英戦争です。
幕末にイギリス軍に攻め入られたこの事件では、やはり鹿児島城本丸の脆弱さが浮き彫りになります。

明治維新後に征韓論に敗れて中央政府から下野した西郷隆盛が率いる不平士族の反乱である西南戦争では、本丸の裏手の山に構えられた詰城が最終決戦の舞台となりました。
戦況が悪くなっていくなか、西郷は山の中腹にある洞窟に1か月ほど立て籠もりましたが、最期は切腹して果てたと伝わります。

20世紀初頭に城跡が第七高等学校として利用され、戦後は鹿児島大学医学部のキャンパスになり、現在は美術館や博物館などの公的な施設が設置されています。

周辺観光スポット

さいごに、鹿児島城やその周辺の観光スポットを見ていきたいと思います。

城山公園

治世の中心であった本丸・二の丸の裏手にある城山跡です。
天守や背の高い物見櫓、高石垣などの防衛機能に乏しい麓の本城に対して、戦うための詰城で、薩英戦争や西南戦争の際に活躍しました。
山城らしく山頂はとても見晴らしがよく、桜島も見える絶景スポットになっています。

本丸跡

「外城」と呼ばれる薩摩藩独自の防衛制度の拠点となった場所で、「本城」とも呼ばれていました。
非常にフラットでシンプルな造りで、薩英戦争の際には、本丸を軍事拠点と思わなかったイギリス軍が周辺の寺を天守閣と勘違いして攻撃したという珍しいエピソードも残されているほど。

復元された御楼門にも注目です。

二の丸跡

本丸に連なる治世の拠点で、現在は図書館、美術館、博物館が置かれています。

探勝園

25代当主・島津重豪が造園し、27代当主・斉興のときに「探勝園」と名付けられた庭園。
島津斉彬が電信の実験を行った場所で、電信使用の地の碑が立っています。
幕末・明治維新期に活躍した島津久光・忠義父子の銅像も見ることできます。

仙巌園

19代当主・島津光久が築いた島津家の別邸。
桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた贅沢な庭園は、歴代島津家当主やその一族に愛されてきました。
島津家の歴史が学べる「尚古集成館」という博物館や、薩摩切子工場が隣接しているので、あわせて訪れてみてください。

照國神社

28代当主・島津斉彬を祀った市内最大の神社。
天皇から斉彬に「照國大明神」という神号が与えられたことに由来しています。

毎年旧暦6月(新暦7月)に行われる「六月灯」という夏まつりは、この神社で開催される鹿児島の夏の風物詩。
当日は多くの人々でにぎわい、屋台がたくさん立ち並ぶほか、伝統芸能が奉納されます。

西郷隆盛銅像

没後50年を記念して製作された鹿児島市のランドマーク。
城山を背に堂々と立つ姿は彼の威厳と人々からの人望を感じさせます。
道路を挟んだところには愛犬の像と一緒に写真撮影ができるスポットがあります。

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