美しく堅牢な白鷺城―世界遺産・姫路城の歴史と見どころ

国内旅行情報

美しく堅牢な白鷺城 世界遺産・姫路城の歴史と見どころ

白壁が美しい、世界遺産・姫路城。
白鷺城の異名でも知られ、毎年国内外から多くの観光客が訪れる城です。

400年間守り継がれてきた姫路城は国内有数の規模と数々の遺構を今に伝えており、私たちが当時の建築を知る重要な手がかりになっています。
複雑な縄張りと青空に生える美しい天守は、まさに日本の城を代表する名城です。

本記事では、世界遺産・姫路城の歴史や見どころについて解説していきたいと思います。

白亜の城・姫路城

日本の城郭建築の最高峰とも謳われる姫路城。
その白く荘厳な姿から「白亜の城」や「白鷺城」とも呼ばれる美しい城です。

現存する城郭のなかでもかなり大きな規模の縄張りで、三重に敷かれた防衛線は江戸城にも匹敵します。
そのため、「暴れん坊将軍」をはじめ、時代劇や映画のロケ地としてもよく使用されてきました。

天守群、櫓、石垣、塀、堀がかなり良好な状態で保存されており、まるでタイムスリップしたかのような錯覚さえ覚えるほど非常に見ごたえのあるお城です。

ここでは、姫路城が辿ってきた歴史を振り返りながら、その魅力に迫っていきたいと思います。

姫路城の始まり

姫路城の始まりは、14世紀に赤松氏が建てた館であると言われています。
鎌倉幕府への反乱に加わった赤松則村が、姫山と呼ばれる小高い丘に砦を築き、その息子・貞範が防御要塞の館として補強したのが姫路城の原型です。
嘉吉の乱などの争乱のなかで山名氏が城を奪うこともありましたが、基本的には室町時代を通して赤松氏の城でした。

その後、姫山の城は一族の小寺氏に引き継がれ、小寺氏が近隣の御着城へ移るとその臣下の黒田氏が治めるようになります。

最初の姫路城は、まさに砦と呼ばれるようなもので、一般に想像されるような天守閣があるお城ではありません。
戦国時代初期くらいまでは、一族や郎党が住まい、外敵の侵入を防ぎ籠城ができる最低限の設備が備わった館を城というように呼んでいました。

黒田氏と姫路城

大河ドラマで一時期話題になった黒田孝高(官兵衛)は、息子が福岡藩の藩祖であることから九州のイメージが強いかもしれませんが、実は姫路の出身。
祖父・重隆の時代から小寺氏の被官であった小領主で、姫山の小さな砦を守りながら質素倹約をモットーとする清貧な暮らしを送っていました。

織田信長がいよいよ中国地方の覇者・毛利氏と一戦交えるという直前になって、孝高は多くの播磨の領主が毛利側につくなか、主家を説得して織田氏に接近します。

毛利攻めを担当する秀吉を姫路に招き入れ、毛利側の武将を着々と説き伏せて織田氏に寝返り活躍しました。

しかし、織田家家臣・荒木村重の謀反を機に主家の小寺氏が毛利側に寝返ってしまいます。
孝高は摂津の伊丹城まで村重を説得しに行きますが、そこで捕まり土牢に入れられてしまい消息不明に。
行方が分からない孝高が村重に寝返ったと勘違いした信長は激怒し、織田氏に人質に取られていた幼い嫡子に殺害命令が下されます。

度重なる理不尽にも関わらず、残された孝高の父や妻、家臣郎党は懸命に秀吉に尽くし続けました。
伊丹城が落ちたあと、孝高は家臣たちの手によって無事に土牢から脱し、生還します。

嫡子も秀吉の与力である竹中重治(半兵衛)に匿われていたことが判明し、主家・小寺氏を失った黒田氏は改めて秀吉の臣下に下ることとなりました。
このときに生還した嫡子こそが、のちの福岡藩祖・黒田長政です。

この直後に孝高は姫路の城を秀吉に完全に明け渡し、秀吉が堅牢な石垣で理路を囲む工事を行います。
秀吉の時代には地下1層、地上3層の天守があったそうですが、仔細はわかっていません。

白亜の城へ

秀吉の世が終わり、関ケ原の合戦に勝利した徳川家康が江戸幕府を開くと、姫路の地は池田輝政が治めます。

西日本の外様大名が上洛する際に必ず姫路城が見える街道を通ることから、けん制の意味も込めて姫路城は白く荘厳な城に生まれ変わります。
池田氏の直後に入城した本田氏が増築し、白鷺城と呼ばれるような今日の荘厳な城が完成します。

三重の防衛線が敷かれた姫路城は天下に名を轟かせる難攻不落の名城。
しかし、今の姫路城が戦火にさらされたことはありません。

戊辰戦争でも無血開城され、明治維新後荒廃した姫路城は有志の手によって保全されました。
太平洋戦争でも地元の人が空襲から守り抜き、今もその姿を現在に伝えています。

姫路城の見どころ

さいごに、見目事情の見どころをいくつかピックアップしてご紹介したいと思います。

菱の門

受付で入場券を買って傾斜を登ると、まず見えてくるのが菱の門。
姫路城最大の門で、頭上の小部屋から敵を狙うこともできます。
扉自体も非常に堅牢な造りです。

天守閣

お城のメインともいえる天守閣。
地下1層、地上6層の巨大な大天守がそびえ、寄り添うように3つの小天守が建っています。
小天守のなかで最も高い乾小天守はそれだけでもほかのお城ならば大天守になれそうなほどの高さを誇ります。

お菊井戸

怪談「播州皿屋敷」でおなじみのお菊井戸。
覗き込むと背後から誰かに投げ落とされそうな感覚になります。

扇の勾配

お城が好きな方にはたまらないポイントのひとつが石垣。
なかでも扇の勾配は、敵が登りにくいよう工夫してある代表的な石垣。
姫路城の石垣のほとんどは江戸時代のものですが、なかには黒田氏が築いたと言われている石垣も残されています。

西の丸・化粧櫓

姫路城観光の際に忘れずに見学しておきたいのが、西の丸と百閒廊下を渡った先にある化粧櫓。
西の丸からふり仰ぐ天守閣には正面とはまた違った趣があります。

侍女たちが暮らした百閒廊下を抜けると、徳川家康の孫・千姫が休息所としたという化粧櫓に繋がっています。
天守閣に比べると観光客も少なく、ゆっくりと自分のペースで貴重な遺構を見て回ることができるおすすめスポットです

関連記事

カテゴリー

アーカイブ