貴重な現存天守を持つ彦根城。
井伊直政を藩祖に持つ井伊藩が代々治めたお城です。
その見た目の美しさもさることながら、防御機構ももちろんしっかりとしており、城郭としてかなり見応えがあります。
また、四季の自然の移り変わりも美しい城で、特に玄宮園の季節の花々とともに見る天守閣は格別です。
本記事では、彦根城の歴史や見どころを解説していきたいと思います。
現存12天守のひとつであり、国宝5天守でもある彦根城
国内で天守閣が当時のまま残されているのはたった12。
そのうち国宝に指定されているのはわずか5つです。
貴重な現存国宝天守のひとつである彦根城には、国内はもちろん国外からも多くの観光客が訪れます。
また、彦根城をモチーフにしたゆるキャラ「ひこにゃん」もいたるところにいて、お土産などで観光客に大人気。
城の麓では「ひこにゃん音頭」が流れています。
毎日3回「ひこにゃん」が広場に現れるそうなので、「ひこにゃん」が好きな方はぜひスケジュールを調べて会いに行ってみてください。
彦根城と井伊藩
井伊直政が徳川家康から、関ヶ原の戦いで敗れた石田三成が治めていた琵琶湖の東側の統治を任されたことが、彦根城築城のきっかけ。
琵琶湖に面した重要な彦根の地を、腹心である直政に託したのです。
それまで琵琶湖の東側の中心は佐和山城にあったのですが、光成が治めていたというイメージが強いお城であったので、直政は佐和山城を廃城。
直政はほどなくして怪我の後遺症で他界してしまいますが、その息子である直継・直孝の代で彦根の地に新しいお城を築きました。
石などの資材は佐和山城や長浜城などの周辺の城から運び込まれ、彦根城のシンボルでもある天守閣は大津城から、天秤櫓は長浜城からそれぞれ移築されたものであると言われています。
井伊藩は譜代大名の中でも最高の禄高を誇る35万石(うち5万石は幕府領の預かり)で、明治維新まで代々彦根の地を治めている珍しいケースの家柄。
何人もの幕閣を輩出した名門で、名実ともに譜代大名の筆頭でした。
幕末に活躍する老中・井伊直弼も井伊藩主です。
桜田門外の変で攘夷派の志士に暗殺された井伊直弼ですが、戊辰戦争において井伊藩は意外にも新政府軍側に着きました。
こうして戦場になることもないまま、彦根城は無事に明治維新を迎えます。
近代以降の彦根城
明治時代になり廃城令が出されると、彦根城でも天守閣などの建物を取り壊そうという動きが出てきました。
そんな時に彦根城に訪れたのは、何と明治天皇。
全国を見て回る「巡幸」のなかで彦根城をご覧になった明治天皇が保全するよう呼びかけたことによって、現在まで彦根城が残っていると言われています。
随行の大隈重信が進言したとの説もありますが、どちらにせよ彦根城は天皇に守られたお城なのです。
以降彦根城は人々の手によって大切に保存され、戦時中も爆撃などを受けることなく今も私たちにその姿を見せています。
彦根城の見どころ
さいごに、貴重な遺構が多く残る彦根城の中でも特に注目して見学したい、彦根城の見どころについて解説していきたいと思います。
天守閣
まずは貴重な現存天守から。
天守の外観で注目したいのが窓の形状。
2階と3階には「花頭窓(かとうまど)」、3階には高欄付きの「廻縁(まわりえん)」が設置されており、変化に富んだかなりビジュアルを意識した造りになっています。
屋根も「切妻破風(きりづまはふ)」、「入母屋破風(いりおもやはふ)」、「唐破風(からはふ)」とさまざまな種類のもので構成されており、角度によって表情が異なるのも見学のポイントです。
櫓
彦根城は天守閣だけでなく櫓も多く現存しています。
櫓はそれぞれ、本丸に侵入してくる敵を迎え撃つため、琵琶湖からの敵の侵入を察知するためなど、防御のための意図を持って作られているので、どれも大変見晴らしが良いです。
石垣の構造を上から観察したり、琵琶湖の風景を眺めたりできるので、櫓の構造などとあわせて、窓からの眺望にも注目してみてください。
時報鐘
「時報鐘」とは、時間を知らせるためにつく鐘のこと。
今も決まった時間に鐘がつかれ、人々に時間を伝えています。
隣にある「聴鐘庵」では、お茶とお菓子をいただきながら鐘の音を楽しむことができます。
馬屋
彦根城の入り口の少し手前に、全国的にもあまり現存している例がない馬屋があり、見学することが可能です。
平成27年に保存修理を終えたばかりなので、とても見学しやすくなっています。
玄宮園・楽々園
楽々園(槻御殿)は、4代藩主・直興によって造営された下屋敷。
井伊直弼が生まれた場所としても有名です。
大規模な池泉回遊式庭園である玄宮園は、楽々園(槻御殿)の後園として作られたもの。
ちょうど鳳翔台(茶席)の上に天守閣が見えるようになっており、美しい庭と天守閣の組み合わせは一枚の絵画のようでとても写真映えします。