かつて東海道の要所にあった曳馬城をベースに徳川家康が築城した浜松城。
江戸時代の浜松藩は大名の入れ替わりが激しかったのですが、浜松城主を歴任した者の多くがその後幕府の要職に就いたことから、「出世城」の異名も持つ、大変縁起の良い観光スポットです。
400年前の野面積みの石垣が現存し、天守や天守門が再建されています。
鉄筋コンクリートで造られた天守には徳川家康や浜松城に関わりのある貴重な品々が展示されており、何とすべて撮影可能になっているそうです。
本記事では、浜松観光の定番である浜松城の歴史や見どころについて見ていきたいと思います。
東海道の要所に位置する浜松城
浜松観光の定番であり、浜松市のシンボル・浜松城は、東海道の要所に位置する非常に重要なお城でした。
戦国時代は今川氏も巻き込んだ争乱が巻き起こっていたようです。
徳川家康が浜松の地を手に入れると、彼は浜松城を拠点とします。
江戸時代に入ってからは、街道の要所であり、かつて家康の居城であったということも関係しているのか、浜松城の城主を務めた者の多くがその後幕府の要職に就いており、浜松城は「出世城」と呼ばれるようになります。
見どころがたくさんある浜松城に行く前に予備知識を付けておくと、さまざまな角度から観光を楽しむことができるはず。
ここでは、浜松城の歩みを辿りながら、その魅力に迫っていきたいと思います。
浜松城の前身・曳馬城
まずは浜松城の前身である曳馬城の歴史について簡単に触れておきたいと思います。
もともと東海道の交通の要所であった浜松の地は「浜松庄」と呼ばれ、「引間宿」と呼ばれる宿場を中心に繁栄していました。
その地に城を築いたのが吉良氏。
15世紀半ばごろのことと考えられており、築城当初は「曳馬(引間)城」と呼ばれていました。
やがて16世紀に入り、遠江を巡って今川氏と斯波氏が対立するようになると、吉良家中も分裂し、双方を巻き込んだ激しい戦いが浜松で繰り広げられました。
結果として吉良氏の家臣である飯尾氏が分裂して今川氏に与することになり、浜松城を治めるようになります。
16世紀後半になると、かの「桶狭間の戦い」で遠江の最大勢力である今川義元が討ち死。
今川氏の衰退を見越した飯尾氏は徳川家康と結びつきを深めます。
しかし、今川氏から離反したことが露見し、飯尾氏は今川氏に謀殺されてしまいました。
その数年後、武田氏とともに今川領に攻め込んだ家康が浜松を手中に収め、遠江平定や既に関係が微妙になりつつあった武田氏への備えとして浜松に拠点を移すのです。
徳川家康と浜松城
曳馬城は現在の「古城」と呼ばれる部分にありました。
吉良氏の支城ですから、規模もそれほど大きなものではなかったであろうと考えられます。
それまで岡崎城を拠点としてきた家康は、武田氏が攻め込んでくることを想定して曳馬城を大幅に改修し、現在の浜松城に近いかたちにまで作り上げます。
浜松城は平地に築かれた平城で、本丸、二ノ丸、三ノ丸が一直線上に並んだ梯郭式を採用しており、非常に大規模でしっかりとした造りの城郭です。
築城当初は天守もなく、今のような石垣ではなく土塁が張り巡らされていたのではないかとも考えられていますが、その数年後の記録に「新城普請」とあるので、そこで大きく城郭を拡大していったのではないかとも考えられます。
「三方ヶ原の戦い」など、まさに家康の苦悩と試行錯誤の青春時代ともいえる浜松時代は、家康が駿府城に移るまで実に17年間続きました。
家康が関東に転封になると豊臣系の大名たちが浜松を治め、その間に現在のような天守曲輪などが建てられたようです。
のちに幕府の要職に就く大名たちが治めた出世城
浜松藩を治めた家は12もあり、特に転封が多かった藩として知られています。
浜松藩主の多くは、その後幕府の要職に就くことが多かったようです。
その代表人物が老中首座の水野忠邦。
天保の改革を推し進めた人物ですが、最後には失脚してしまいます。
そのほかにも、京都所司代や老中を務めた井伊正経など、優秀な人物を数多く輩出しています。
このようなことを聞くと、浜松城は出世にご利益のある観光スポットのように思えてきますね。
明治維新以降は廃城令により浜松城もその大部分が払い下げられてしまいますが、後に東照宮が設立され、戦後には天守が再建されるなど、今では浜松市のシンボルとなっています。
浜松城の見どころ
ではさいごに、浜松城の見どころをご紹介したいと思います。
石垣
400年前の野面積みを見ることができる石垣。
場所によってはもう少し後の時代のものである布積みのものもあるので、石垣に詳しい方は築城年代の違いを感じられるかと思います。
天守門
2014年に再建された天守門。
脇にある「鏡石」にも注目です。
天守曲輪
先ほども少し触れた天守曲輪は、豊臣系の大名に特有なもの。
織豊期の出土品もあることから、天守曲輪をはじめ豊臣系大名が浜松城に深く関わっていたことがうかがえます。
天守閣
再建された天守閣には、展望台や再現された地下階層のほか、家康や浜松城にまつわる貴重な品々展示されています。
家康公お手植えのみかん
駿府城で隠居した家康が手ずから植えたというみかんの木を接木したもの。
入り口周辺にあるのでぜひ見てみてください。