織田信長・天下布武への足掛かり―岐阜城の歴史・見どころ

国内旅行情報

織田信長・天下布武への足掛かり 岐阜城の歴史・見どころ

現在も岐阜県のシンボルとなっている岐阜城。
織田信長が築いた岐阜城は、戦国末期まではポピュラーであった山城です。

最初期の天守閣を持っていたとも言われ、宣教師・ルイス・フロイスの「日本史」にもその詳細が記されています。
近代に入ると、板垣退助が襲撃された場所としても有名です。

本記事では、岐阜城の歴史を紹介しつつ、その見どころなどを探っていきたいと思います。

織田信長が天下布武への足掛かりとした岐阜城

日本史のなかでもトップレベルの有名人である織田信長。
彼が天下布武を掲げ、時には残虐非道な手段をも用いて上洛を果たしたことは有名です。

その天下布武への大きな足掛かりとなったのが岐阜城。
城と城下町を整え、新たな城の在り方のひとつを示したともいえるのではないでしょうか。

歴史ロマンが詰まっている岐阜城ですが、もちろん歴史に詳しくない人でも天守閣からの眺望、展望レストランでの食事、川原町観光や長良川の鵜飼いなど、十分すぎるほどに観光を楽しむことができるコンテンツが盛りだくさん。

ここでは、歴史にあまり詳しくない方でも岐阜城観光の前に簡単な事前知識が持てるように、また歴史が好きな方には岐阜城観光がより楽しみになるような情報をお届けできればと思っております。

斎藤道三・龍興と稲葉山城

岐阜城がそびえる金華山は、もとは稲葉山と呼ばれており、その山頂に築城された城は「稲葉山城」と呼ばれていました。

稲葉山城の始まりについてはあまりわかっていないことが多く、どうやら鎌倉時代に一度要塞が築かれたものの、100年ほどで廃城になってしまったようです。
その後、15世紀半ばに美濃国の守護を務めた斎藤利永が稲葉山城を修復して居城としたそうですが、再び100年ほど記録が飛んでしまいます。

稲葉山城に関する具体的な記録が現れるのは室町時代後期のこと。
斎藤家の家臣である長井長弘が下剋上を果たし、さらにその配下であった斎藤道三とその父が最終的に稲葉山城を手中に収めました。

このあたりの出来事や斎藤道三の出自なども諸説ありますが、ともかく稲葉山城はのちに「美濃のマムシ」と呼ばれた斎藤道三のものになります。
道三は守護代の斎藤家を下しただけでなく、その上の美濃国の守護・土岐氏も放逐してしまいます。

道三亡き後は当時若冠14歳であった息子の龍興が跡を継ぎますが、家臣の竹中半兵衛にわずかな人数で城を乗っ取られ、半兵衛から城を返されたものの信長による度重なる城攻めに屈してしまうことから、創作物では情けない人物として描かれることが多いです。

織田信長が名付けたまち・岐阜

織田信長は京への重要な足掛かりとなる交通の要所・美濃国を手に入れると、それまでの小牧山城から稲葉山城へと居城を移し、地名も岐阜と改めます。
織田信長は岐阜城を大改修し、山麓に御殿、山頂に天守を築いて自らは山の高いところに住むことによって、視覚的に立場の違いを明確にしました。

城下町も整備し、まさに岐阜のまちは信長の手によって天下布武を掲げるにふさわしい場所に作り変えられたのです。
信長は岐阜城に客人をたくさん招き、手ずからもてなしたと言われています。
その中にはヨーロッパの宣教師たちもおり、岐阜城の記録は海の向こうでも伝えられることとなりました。

信長が安土城を築き、家督を譲った後は嫡男の信忠が城主となりますが、本能寺の変によって父とともに死亡。
斎藤氏が再び岐阜城に入りますが、明智光秀が山崎の戦いで秀吉に敗北すると降伏し、信長の三男・信孝が岐阜城を治めます。
しかし、信孝も柴田勝家と秀吉の争いに巻き込まれて討死してしまいました。

以降幾人かが城主を務めた末、信長の嫡孫・秀信が入ります。
秀信は関ヶ原の戦いにおいて西軍に着き敗北、岐阜城は家康によって廃城になりました。

江戸時代以降の岐阜

江戸時代に入ると、岐阜城がある金華山は一部の限られた者以外は出入りが禁じられるようになります。
尾張徳川家が度々鵜飼い観光とともに訪れていたそうですが、城としての機能は完全に失われてしまいました。

明治に入ると宮内省管轄の「御料林」になり、金華山は一般に開かれます。
森林は鵜飼いの篝火として利用され、秋には多くの人が松茸を採りに来たそうです。

信長の山麓御殿があった場所には「中教院」が建てられ、そこで演説を行った板垣退助が襲撃されるという事件が起こります。
ここで板垣は、「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉を残しました。
ちなみに板垣はこのとき亡くなっていませんし、彼自身がこの言葉を言ったわけではないとの説もあります。

岐阜城の見どころ

さいごに、岐阜城の見どころをご紹介したいと思います。

復元天守

鉄筋コンクリートで復元された天守閣は資料館にもなっており、岐阜城の歴史に関する展示を見ることができます。
最上階の展望台からは岐阜のまちが一望できます。
織田信長も見た景色なのかと思うと感慨深いですね。

織田信長公居館跡

織田信長の居館跡など、岐阜城では近年発掘調査が進んでいます。
安土城で最初に使われたと考えられていた金箔瓦も近年出土しました。
居館跡は「金華山ロープウェイ」からも見ることができます。

川原町観光

古い町並みが残る川原町。
古い建物を利用した伝統工芸品のお店や飲食店などが立ち並びます。

関連記事

カテゴリー

アーカイブ